友、ふたり

ささやかな幕間

 夕食、入浴も済ませた後、もっぱら嘉神は居間、もしくは図書室で読書にふける。かつては嘉神の気分によりその場所は寝室であることもあったのだがレンが同居するようになってからはそこだけはやめた。
 言うまでもなく、レンが書を読む嘉神の傍にいるからだ。
 嘉神としてはレンが猫の姿をしている時はまだしも少女の姿をしている時に寝室にはあまり入れたくない――実際のところ、眠る段になるとレンがベッドに潜り込んでくるのはもはや嘉神の日常であったりするのだが、それでも譲りたくない、譲ってはならない一線が嘉神にはある。
 一線を守るために、嘉神は夜の読書は居間か図書室でと決めている。
 居間での読書の際のレンの定位置はソファで書を読む嘉神の隣か、その膝の上。猫の姿なのか少女の姿なのかは、レンの気分次第だ。
 今夜は少女の姿で嘉神の膝の上――だけど、いつもと違うことが一つ。
「……レン」
 嘉神の声にはたしなめと困惑の響きがある。その碧の視線の先で、赤い、夕日の色がいたずらにゆらん、と揺らめいた。
 レンの夕日の色の眼は真正面から嘉神を映している。つまりレンは嘉神と正対している。正対し、その背に腕を回している。
 普段膝の上にいる時にはレンは嘉神に自分の背を預けてちょこんと座っているというのに、今日は一体どうしたのか。
 とりあえず、これでは少々本が読みづらい。
「レン、離さないか」
 言ってみるもレンは――嘉神がこれまでの経験から予測していた通り――ふるふると首を振った。この場合、レンに言うことを聞かせるのはまず無理であると嘉神は知っている――知っているが、「無理」の理由が自分自身の心にもあることにはまだ、気づいてはいない。
――…………
 心の内で、溜息を一つ。
 諦めて嘉神はレンをそのままにして書に視線を移す。
「…………」
 背に回されたレンの手に力がこもるのが嘉神には感じられた。同時に、ことんとレンの額が嘉神の肩に押し当てられ――

「【慎之介の方が、やっぱりいい】」

 そんな声を聞いたように思った。

     § § §

「おっやじー!」
 夕食と入浴を終え、さてそろそろ寝る頃かとなった直衛家に、元気の良い虎徹の声が響いた。声と同時に、十六にしては小柄な体が宙に舞う。
――やれやれ。
 昼間から予想していた通りの娘の行動に苦笑しつつ、飛びついてきたその体を示源はしっかりと受け止めた。
「えへへ〜」
 ぎゅうっと父親に抱きついた虎徹の顔には嬉しさと照れくささが半々の笑み。
「やっぱり、おやじが一番デス」
「そうか」
 苦笑を残しつつ、示源の虎徹をみる眼差しはとてもやさしい。やさしさを形作るのは娘への愛しさ、それから喜び。
 テレビの絵芝居の獣に憧れて、それを模したモノでさんざん遊んで抱きついて、疲れてその上で眠っても――今日はレンも一緒に眠っていた――おやじが、示源の方がいいと虎徹は言うのだ。模したモノのようにやわらかくもなく弾みもしない、強靱でごつごつとした硬い筋肉に覆われた示源が良いと虎徹は言うのだ。
 虎徹は十六の娘らしくするべきだ――つまり示源もそう虎徹を扱うべきだ――と嘉神は言うが、娘にこうも慕われ、率直にその想いを伝えられればつい甘くなってしまうのも仕方がないと半分、嘉神と己への言い訳混じりながらも示源は思う。
 故に示源はこうなるとわかっていても虎徹を咎めず、飛びついてくるのを受け止めるのだ。今夜も、たぶんこれからも――虎徹が娘らしくなって、こういうことをしなくなる『いつか』まで。
「ね、おやじ」
 示源に抱きついたまま、虎徹は顔を上げてにこりと笑う。
「あのね、レンちゃんも一緒だって言ってたデス」
「ほう? 何が同じなのだ?」
 レンは言葉を話さないが、虎徹にはレンが言いたいことがだいたいわかるらしい。それに気づいた嘉神は以前、随分と感心していた。
「レンちゃん、今日楽しかったけど、慎之介が一番だって。オイラと同じデス」
「……そうか」
 示源の眼が細く、細くなった。やさしい色が一段と深さを増している。
 きっと今頃虎徹と同じようにレンも嘉神に抱きついているだろうと、嘉神は困惑しつつもそれを拒まないでいるのだろうという確信が直衛示源にはあった。
 

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