友、ふたり
嘉神邸にて
その日、直衛示源と虎徹の親子が嘉神慎之介の屋敷を訪れたのにさしたる理由はやはりなかった。嘉神とレンが示源の家を訪れることがあるのならば、当然、その逆もあるというだけのこと。
嘉神とレンが二人を出迎え、示源は持参した茶菓子を手渡して嘉神邸の玄関をくぐる。
「慎之介、レン殿は虎徹を庭に連れて行ったと言うが、何があるのだ?」
紅茶のカップを皿へと戻し、示源は問う。あまり紅茶は飲まない示源だが、嘉神の屋敷で出されるものは気に入っている。
テーブルの上には四人分のカップと示源の土産の茶菓子――杏子の砂糖漬けを刻んだものを餡に混ぜた大福――を乗せた皿がある。カップの一つは示源に合わせて一回り大きい。
虎徹とレンの分の皿はもう空だ。いそいそと大福を食べ終えたレンは、同じくすぐに食べ終えた虎徹と手を取り合って居間を出ていった。
「ああ」
それか、と言うように一つ頷いた嘉神の視線が窓へと向く。幾分その眼差しがやわらかでやさしげに見えたのは示源の気のせい、あるいはそうであればよいとどこかで願っていたせいだろうか。
「レンが気に入っている花がちょうど今朝咲いた。それを見せたいのだろう。それと」
僅か、嘉神の眉が寄るのが見えた。不快というより困惑、迷いの気配を示源は感じる。
良しと受け入れるべきか、悪しと拒絶するべきか、決めあぐねている――このMUGEN界で生きるようになってから、いや、正しくはレンを傍に置くようになってから時折嘉神はそんな様子を見せる。そのように困惑し、迷う己自身が更に嘉神を戸惑わせているらしいのだが、示源はじめ嘉神の古くからの知己はそれを良い変化と――慎之介の人らしさだと――思い見守っている。
「それと、なんだ」
故に嘉神の困惑には触れず、示源は言葉の先を促した。
「……庭の一部を先日レンがいじって遊び場にしてしまった。花だけではなくそれも見せるつもりなのだろう」
「ほう。レン殿は庭いじりをするのか」
「一人ではない」
嘉神が次の言葉を続けるまで一息の半分、そのまた半分にも満たない間が空いていた。示源が気づいたのは、やはり彼が嘉神をよく知る友人であったからだろうか――
「……式神どもが手伝っている」
「式神……ああ、この屋敷の使用人か」
嘉神の広い屋敷を切り盛りするにはどうしても人手がいる。その人手を嘉神は自らが作り出した式神達を使用人として使うことで補っているのである。
「ああ。いつの間に手なずけたか、レンはあれらと仲が良い」
レンが自分と経路を通じた使い魔でもあることが大きいのかももしれん――どこか淡々と嘉神がそう言うのを聞きながら、示源は先の幽かな間とも言えないほどの間の訳を理解した。
式神、だ。
嘉神は式神の術に長けている。人と寸分見分けがつかない式神を何体も作り、自在に操る。示源が聞いた話では見る者によって姿が変わる式神すら作ることが出来るらしい。
そして、かつて嘉神は示源そっくりの式神を作った。嘉神が示源を封じたことを悟られぬよう、式神に影武者の役割をさせたのだ。示源そっくりの式神が示源本人ではないことに気づいたのは虎徹ただ一人であった。しかし幼い虎徹はそれを誰に伝えればいいかわからず、影武者の元から一人逃げることしか出来なかった。
示源の影武者であった式神は、後に封印から解き放たれた示源自身が怒りの狂乱のままに破壊し――以降、誰ともその話はしたことがない。
虎徹とも、嘉神とも。
――しかし慎之介、多少なりとも気にしていたのか。
式神の話を避けていたのは示源だけではなかった。嘉神もだったのだ。
そういえば、と示源は一つ気づくことがあった。遅いと言われるかもしれないがそれだけ嘉神の振る舞いが自然だったのだ。だが気づいてしまえばよもや、と思わずにはいられない。
「慎之介」
思わずにはいられなかったから、言葉が口をついて出てしまっていた。
「なんだ」
話す内に空になっていた示源と自分のカップに嘉神が紅茶を注ぐ。真白いポットから赤い茶が、やはり白いカップへと注がれていく。ふわりとほのかに茶の香が広がる。緑茶とは異なる濃い匂いが示源は好きだった。もっともこの香は、嘉神の屋敷のような場所だからよいものだと思ってもいるのだが。
「……使用人がいるというのに、お前は自ら茶を淹れてくれるのだな」
嘉神の屋敷を訪れる際、示源はあまり使用人の姿を見ない。いつも嘉神が自ら出迎えるし、茶や菓子も嘉神が自ら出してくる。
まるで、極力示源の視界に使用人を入れるまいとするかのように。
気を使っているのか、と示源は問いたかった。ただそれを直截に聞くのははばかられた。
こと、と嘉神がポットを置いた。
ソファに座り直し、碧の目を示源に向ける。
「友に手ずから茶を淹れて何がおかしい」
視線にも、声にも、微塵も揺れはなかった。本心だと示源は知った。
自然と口元が緩む。
「ふふん」
式神のことに互いに触れぬのは、かつてのことが落とした影だ。だが、この屋敷でのことは、嘉神が自ら示源を出迎え、茶を淹れ、菓子を出すのはかつてのこととは関係ない。
それが、示源にはたまらなく嬉しかった。
「……何を笑う」
怪訝な風に嘉神は眉を寄せたが、それが作ったもののように見えたのは、示源の気のせいではあるまい。心の内を隠すための、つまり照れとでも呼ぶべき感情を隠し、抑えるために眉を寄せたことが示源にはわかっていた。
「いや、そうだな、確かにそうだ。わしもお前には茶を淹れて出しておる。お前ほどは巧くは淹れられぬが」
「お前の淹れる茶はよいものだと思うが」
眉を寄せたまま嘉神はついと視線を逸らす。眉間のしわは深くなったようだが、不快でも怒っているわけでもない。
「ははは、慎之介にそう言われると自信がつくぞ」
一回り大きいカップを示源は手に取る。このカップも他のものと同じ柄だ。ちゃんと、嘉神は揃えていた。
――友、か。
その言葉を心中で噛みしめ、示源はカップに口をつけた。
紅い茶はあたかく、うまかった。
直衛示源にとってこれまでで一番うまい茶であった。
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