誕生日ログ

黒い猫と白い鳥のその日

 レン、誕生日おめでとう。

 今日のレンはそわそわと落ち着きがない。
 今日は誕生日、大好きな人と過ごせる、その人に祝ってもらえる誕生日なのだから気持ちがわくわくするのも当然だ。
 一緒に過ごせるだけでもとても嬉しいのに、嘉神はお祝いの準備もしていてくれたのだからもう落ち着いた気分ではいられない。
 それでも、いつもと同じようにレンは振る舞おうとしていた。あまり浮ついている様子を見せるのは、レンのプライドが許さない。
 故に、いつも通り、今日は自分の誕生日なんかじゃありません、という顔でレンは過ごしている。
 そのつもりなのだが、嘉神がレンを見る目は楽しそうだ。親が子を、あるいは兄が妹の頑張る様を見守るような、優しく楽しげな眼差しでレンを見ている。
「…………?」
「いいや、なんでもない」
 レンが首を傾げても嘉神は笑って答えない。子供扱いされている気がひしひしとして、それがレンにはなんだか不満であった。
 だが同時に嘉神の眼差しはとてもほっとできて心地よく――そう思っていることまで気づかれたくなくて、レンは少しつんとして顔を嘉神から背けた。
 それが逆効果だとレンが気づいたのは、嘉神がククッと喉を鳴らして笑った後だった。

 今日は嘉神はずっとレンと過ごしている。いつもなら仕事をしている午前中のこの時間も、レンと一緒に庭を散歩している。
 仕事はいいのとレンが聞けば、「今日はない」とだけ嘉神は答えた。答えはそれだけだったが、嘉神が今日のために昨日までに出来る限りの仕事を片付けていてくれたのは、ここ数日の様子を思い返せば明らかだった。
 嘉神に迷惑をかけてしまったという気持ちもレンの中にはあったが、嘉神がそこまで自分のためにしてくれること、一日ずっと嘉神が構ってくれることへの嬉しさは申し訳ない気分を容易に上回る。
――……だめだめ。
 弾みそうになる足を抑え、レンは嘉神と手を繋いで――これはいつもしていることなのだから構わない。いつもよりぎゅっと握りたくなる気持ちだけ抑えておけばいい――広い庭を回る。
 まだ残暑が続くとはいえ、空気は徐々に秋のそれへと変わり始めている。庭の草木は夏の花はもう終わったが、秋の花はこれからで、景色は少し寂しい。
 でも嘉神と一緒に過ごせる、それだけでレンは景色の寂しさなど気にならなくなる。それに庭に花がないわけではなく――
――あっ。
 この間つぼみだったなでしこはもう花を咲かせているだろうと思い出し、それを見せてあげようとレンは嘉神の手を引いた。
 早足に、いつものように嘉神の手を引き、その少し前をレンは行く。
 いつものように嘉神は、レンに手を引かれるままに後に続く。
 きゅ、と握った手に、力が、こもった。

「いや、うちには来ていないが。
 ……待て」
 昼食後、嘉神は誰かと電話をしていた。最初の方こそ嘉神は不快の念を見せていたが、話す内にその口元には苦笑が、青い目には今日もう何度かレンが見た楽しげで優しい色が宿っていた。
「……そうだ、その公園だ。
 確実ではないが行ってみる価値はあ……」
 嘉神の言葉が途切れた。受話器を耳から離し、やれやれ、と苦笑する。
 受話器を電話に戻した嘉神はレンに目を向けると、
「お前の気遣いは効いているようだ」
と、楽しそうに言った。

 午後のお茶の時間、ついに誕生日のケーキが出された。
 赤い苺が飾る白い生クリームがたっぷりかかったケーキをフォークにたっぷり取って、はむ、とレンは口にした。ケーキはレン好みの甘さ控えめでとてもおいしい。
「パティスリー・マキシマのバースデーケーキは評判がいいと聞いてな。今年はそれにしてみた」
 レンの前にほどよく冷ましたミルクティーのカップを起きながら言う嘉神に、こくこくとレンは頷いてみせる。バースデーケーキを前にすれば、嬉しい気持ちはもう抑えられない。
 パティスリー・マキシマのケーキのおいしさはレンも認めていたが、このケーキは今まで食べたショートケーキの中でも一、二を争うほどにおいしい。
「今日は好きなだけ食べるといい。全部食べても構わんぞ」
 やはり優しい、楽しげな目でレンを見る嘉神の前にあるのは紅茶のカップだけだ。
「…………?」
「私はいい。お前のためのケーキなのだからな」
 レンはフォークにさしたケーキに目を向けた。確かに嘉神はレンほどはケーキは食べない。それに今日はレンの誕生日なのだからその分更に遠慮しているのだろう。
――でも。
 生クリームの白と苺の赤とスポンジの黄色がきれいなケーキを見つめてレンは思う。
――こんなにおいしいのに。こんなに、おいしいのに……
 レンは嘉神に目を向けた。「なんだ?」と問う嘉神に、
「…………」
「む」
レンはケーキを刺したフォークを突き出した。
――慎之介も、食べて。
 こんなにおいしいのだから、嘉神にも食べて欲しい。
 こんなにおいしいのだから、一人で食べるのは少し寂しい。
――食べて。
 じ、と嘉神の青い目を見つめてレンは訴える。
 食べて欲しいのはもちろん、このフォークからだ。
「……む」
 嘉神の眉がほんの少し、寄せられた。困った顔でフォークを見て、レンを見る。
――今日はわたしの誕生日。
 それは今日一日だけの魔法の言葉。わがままを聞いてもらえる魔法の言葉だ。
「………………」
 渋々、嘉神は口を開いた。視線はレンから反れ、頬が心なしか赤い。
 にこっと、レンは笑んで嘉神の口へとケーキを運ぶ。
 このおいしいケーキを嘉神に食べてもらえることが嬉しい。
 子供扱いされていたようでほんの少し、本当にほんの少しだけ不満だった気持ちもすうっと治まる。
「……ん、確かにうまいな」
 口にしたケーキを飲み込み、嘉神は頷く。
「…………?」
 フォークにケーキを取り、もう一口いかがとレンは首を傾げてみせる。
「今ので十分だ。お前のためのケーキなのだから、しっかり食べろ」
 慌てて首を振る嘉神に大いに満足して、レンはおいしいケーキを味わった。

 その日も暮れて夕食後、いつものように就寝までの時間をすごそうと居間に入ったレンは、テーブルの上に見慣れないものが乗っていることに気づいた。
 それはリボンのかけられた小さな箱。もしかしてとレンが思ったその時、
「レン」
声をかけて嘉神はすっとレンの手を取った。手を繋ぐのではなく、紳士が淑女の手を取るのと同じように――身長差から、少し身をかがめてはいるが――嘉神はレンをテーブルへとエスコートする。
 レンをソファに座らせ、その隣に自分も座ると嘉神はテーブルの上の箱――レンへのプレゼントを取った。
「誕生日おめでとう」
 改めて告げるその言葉と共に、嘉神はレンにプレゼントを手渡す。
 気に入るといいが、そう言う嘉神を見、手のプレゼントを見て、レンはようやく気がついた。
 今日、色々なことを用意してくれて、ずっと一緒にいてくれた嘉神にレンはまだ伝えていない。
「…………」
 ゆっくりとプレゼントから、嘉神へと目をレンは向けた。
 プレゼントを開ける前に、この言葉を伝えなければならない。
 プレゼントを持ったまま、レンはソファから立った。
「?」
 当惑の色を見せた嘉神の膝の上に、嘉神の方を向いていつものようにちょこんとレンは座る。
 そして顔を寄せ、嘉神の耳元でレンは囁いた。その言葉にすら乗せきれない喜びと感謝の想いを精一杯込めて。
 
 ありがとう、慎之介――
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-