誕生日ログ

白と白の夢

 ふと気づけば、嘉神慎之介は白と濃紺の世界に立っていた。
 天には、濃紺の地に星がきらめく。
 きらめく星々がかたどる星座は、琴に、鷲に、白鳥、蠍と夏の夜空のもの。
 地には、真っ白な雪原。
 夏の夜空の下に厚く積もった雪景色が広がる、明らかな異常な世界。
 だというのにこの世界は不思議な調和によって成立している。
 そんな世界のど真ん中に、嘉神慎之介は立っていた。
――ここは……
 思案しながら嘉神は周囲を見渡す。
 ここを嘉神は知らない。知らないが、似た場所は知っている。
 見回しても誰の足跡も周囲にはないここに、どうやってきたかはわからない。
 思い出せる直近の記憶と、ここにいる状況がどうやっても繋がらない。
 となると、嘉神は時間も空間も肉体も意識さえもすっ飛ばされてここに置かれた、そう考えざるを得ない。
――ふむ……つまりここは……
 もう一度周囲を見回し、嘉神は苦笑する。

 りりん、と鈴の音が世界に響いた。

 よく知った鈴の音と似て異なるその音は、なんだかすねているように嘉神には聞こえた。
「いるのだろう? 私に何用だ、白レン」

 赤い目は、嘉神の感じたままの色を宿していた。

「よく私の夢に入り込んだものだ」
 前触れもなく、自分の眼前に現れた白い服の少女――白レンに嘉神は軽くとがめる口調にいささかの感嘆を添えて言った。特に不快はなくもう戸惑いもない。こういった状況にはいくらかの経験はあるので何が起きたかの理解は早いが、少々の疑問はある。それを白レンに確かめてはおきたかった。
「他の場所でならいざ知らず、私の屋敷には結界が張ってあるのだがな」
 トラブルは多いが平穏な世界なので屋敷に張ってある守護結界はさほど強固なものではない。だが屋敷で暮らす嘉神やレンに外部のものがなんらかの干渉をしようとすれば、すぐに嘉神にわかるようになっている。
「ええ。それに貴方は精神的な干渉への抵抗力はとても強いわ」
 頬を膨らませまではしていないが、白レンの機嫌は良くはなさそうだ。気づかれたのがよほど面白くなかったらしい。
「ではどうやってここに、何のために来た?」
「貴方はレン(わたし)には甘いのよ。わたし(レン)にはね」
「む……」
「貴方はレンのマスターだし、貴方ぐらいの意志の力があれば、わたし(レン)の夢を拒むなんて簡単なこと。
 でもわたしはここにこうしている。結界も抵抗力も関係ないのよ。
 だって貴方はレン(わたし)には無警戒ですもの」
――言ってくれるものだ。
 ずばずばと遠慮なく言う白レンに、痛いところを突いてくると嘉神は苦笑する。彼女の言うことは事実だ。認めるには少々照れくさいというか気恥ずかしいものもあることだが《レン》である彼女にあれこれ言っても仕方がない。
 だがそれにしてもやけにとげとげしい。それが嘉神には引っかかる。
「私の夢にお前が入ってこれた理由には納得しよう。
 それで目的は何だ?」
「………………」
 嘉神が問うと、白レンは黙り込んでしまった。
 うつむき、後ろ手に手を組み、軽く地の雪を蹴る。
――むう……
 どうしたのだろう、どうしたものかと白レンの様子に戸惑う一方で、興味深いとも嘉神は思っていた。
 その成り立ちから当然とはいえ白レンは実によく喋るし表情も豊かだ。故に彼女の感情や思考を察するのはレンと比べてはるかに容易ではあるのだが、逆に肝心なものは捉えにくいように嘉神は感じている。
 それは意志や感情を表す手段こそ少ないが、その芯となるものは案外はっきりと示してくるレンとは対照的といえた。
「……明日は」
「うん?」
 二人のレンの違いを考えていた嘉神の思考は、白レンの言葉でこの場に引き戻される。
「明日は、何の日?」
「明日か? 明日は……ああ、レンの誕生日だな」
 そう答えて、そういえば、と嘉神は気づいた。
 レンの誕生日は、同一である白レンの誕生日でもあるはずだ。
「そうよ。やっぱり貴方は知ってるのね。
 ……用意、してる?」
 上目に嘉神を見上げ、白レンはまた問う。何かに怒っているような、不安そうな、寂しげな光がその赤い、レンの夕日色とは似て異なる赤で揺れる。
「あぁ」
 一月も前からあれこれと嘉神は明日のための準備や手配をしている。
「そうよね。ええ、そうよね、貴方とあの子の関係からすればそれが普通よね。一緒に暮らしてるし、パートナーだし、使い魔と主だし……」
 嘉神が頷くと、またうつむいて雪を蹴りながらぶつぶつと白レンは呟く。
 その様にようやく、おぼろげではあったが嘉神は白レンが自分の夢に現れた理由を理解したように思った。
 だが、直接それを口に出すのははばかられた。なにせ白レンは素直ではないのだ。直接そう言えばかえって面倒なことになる。
――どうしたものやら。
 思案する嘉神の口元は、僅かに綻んでいた。面倒をかけてくれる、と思いはするが白レンの様子は微笑ましい。そんな風に思うとは自分も丸くなったものだと思う嘉神の耳に、

 ちりん

聞き慣れたあの鈴の音が響いた。同時に嘉神の脳裏に一つのイメージが浮かぶ。

 青く晴れた真夏の空の下に広がる雪原にたたずむ、黒い獣。

――そうか。
 フッ、と嘉神は笑みをこぼす。そうして一つ咳払いをすると、
「特に用がないのなら帰ってもらおうか。夢に介入されるのはあまり気分がよいことではないのでな」
自分でもわざとらしいと思いながらも、冷ややかに白レンにそう告げた。
「……っ、そ、そうね。
 貴方がマスターとして使い魔の面倒を見てるか気になったけど、大丈夫そうね。ええ、心配ないわ、羨ましいなんて思ってないわ。
 じゃあ、わたしは帰るわね。ええ、ええ、明日はせいぜい楽しく過ごすことね!」
 顔を真っ赤にして早口に言いながら、白レンはくるりと身を翻す。
 風もないのに、地の雪が舞い上がった。その雪が踊るように回る白レンを覆い隠していく。
「――――――」
 回る白レンが、嘉神を見た。小さな唇が言葉を発する。
 そして優雅に笑んで――精一杯の虚勢であることは疑いようもなかったが、白レンは雪の中に姿を消した。

――やれやれ。
 目を開き、嘉神は苦笑した。
 ここは嘉神の屋敷の居間だ。夕食を終え、ソファに座って嘉神は本を読みながらうたた寝していたところ――させられたのかもしれないが――夢を見たらしい。読んでいた本は手から滑り落ちてしまっていた。
 身をかがめて嘉神が本を拾うと、それを見計らったかのように黒い猫――レンがぴょんと嘉神の膝の上に飛び乗った。かと思うと次の瞬間にはその姿は青銀の髪に赤い目、黒いコートをまとった少女の姿に変わる。
「…………?」
 ちょこんと嘉神の膝の上に座ったレンは小首を傾げる。
「白レンは帰った。
 お前の気遣いがうまくいくといいのだが」
「……………………」
 頭を真っ直ぐに戻したレンの目が自信ありげに見えて、嘉神はそうか、と頷いた。
「お前が保証するなら大丈夫だろう」
――K´も素直ではないが、決して白レンをないがしろにしているわけではない。
 素直でない者同士、衝突することの多いK´と白レンだが、互いに気遣い合っているのは端から見ていればなんとなくわかる。K´はうざがっている割に白レンを突き放すことはせず、白レンは好き勝手言ってるようでK´を本気で怒らせることはまず言わない。
――つくづく不器用な二人だな。
 それはそれで微笑ましいと言えば微笑ましい。出来れば、あまりこちらを巻き込んで欲しくはないがレンと白レンが存在としては同一であり、姉妹のような関係である以上、今後も何かと巻き込まれることはあるだろう、と嘉神は一つ溜息をつく。
――私が言えたことではないかもしれんが。
 去り際の白レンの言葉――おそらく間違いなく悔し紛れの返し矢――は、これまた嘉神の痛いところを突いていた。

『夢に介入されるのが嫌なのに、どうして貴方はあの子の夢を拒まないのかしら。
 結構困らされているんじゃなくて?』

――返す言葉もないとはこのことか。
 しかしいくら《レン》だからと言っても、第三者に見抜かれているというのは面白くないものだ、と嘉神は眉を寄せた。
「…………?」
「いや、なんでもない」
 嘉神が首を振れば、しばしじっと嘉神を見つめたもののレンは傾げた小首を反対に傾けた。その赤い目がきらきらと期待に輝いている。
「それは、明日のお楽しみだ」
 笑みと共に答えた嘉神に、ほんの少しレンは残念そうな顔をする。
 しかしすぐにこくんと頷き、ぎゅ、と嘉神に抱きついた。
 楽しみ、そう言う代わりのように。
 

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