誕生日ログ
黒と黒の夢
ふと気づけば、K´は白と青の世界に立っていた。
天には、青く澄んだ空に日輪が輝く。
空の濃い青と太陽の眩しさは夏の空のもの。
地には、真っ白な雪原が広がる。
夏の空の下に厚く積もった雪景色が広がる、明らかな異常な世界。
だというのにこの世界は不思議な調和によって成立している。
そんな世界のど真ん中に、K´は立っていた。
――なんだここは。
不機嫌にK´は顔をしかめる。
こんな場所をK´は知らない。知らないのにK´はここにいる。
ここにどうやってきたかもわからない。見回しても誰の足跡も周囲にはない。
思い出せる直近の記憶と、ここにいる状況がどうやっても繋がらない。
となると、K´は時間も空間も肉体も意識さえもすっ飛ばされてここに置かれた、そう考えざるを得ない。
誰が、何故、どうやって、K´をそうしたか、全ては不明なのだが。
「チッ」
舌打ちして、K´はポケットに手を突っ込み――舌打ちを、もう一つ。
そこにあるはずの煙草の箱が消えていた。
ちりん、ちりん、と鈴の音がこの世界に響いた。
かわいらしい鈴の音だが、どこかで聞いたことがある音であり、またその響きはなんだか自分に抗議しているかのようにK´には思えた。
「言いたいことがあるなら出てこい。テメェか、俺をここに連れてきたのは」
赤い目は、K´の言葉を肯定していた。
「っ……お前、嘉神の連れてる黒いのか」
前触れもなく、自分の眼前に現れた黒い服の少女――レンにK´はまた顔をしかめる。苛立ちはあるが驚きはない。ここまでなんだかんだと不自然なことが続けば驚きは麻痺する。それにレンが現れたことでだいたいの解は得られた。
この黒い服の少女は夢魔だ。つまり――
――ここは夢の中か。
それならこの不自然でありながら調和した世界のことも、そこにK´が唐突に在ることも全てが説明がつく。
状況を理解したK´に、こくんと黒い服のレンが頷いた。この世界、夢の中ではK´の考えることは全部筒抜けらしい。
「何が目的だ。テメェの連れは嘉神だろう。じゃれるなら嘉神だけにしておけ」
K´はグローブをはめた右手を軽く握り、その手に炎を宿した。本気で黒い服のレンに力を振るう気こそないが、事と次第によっては痛い目を見てもらうつもりはある。
「…………」
だが黒い服のレンは怯えた風もなく、いつも通りの表情の薄い顔でK´を見上げている。
赤い目が、一つ、二つ、瞬く。
『誕生日なの』
頭の中に流れ込んできたその声というよりはイメージに、怪訝にK´は眉を寄せた。
「誕生日って、いつが誰のだ」
『明日。わたしの』
やはり黒い服のレンの声はしない。普段から喋らない少女だが夢でまでこうとは徹底していると、いささか呆れた気分をK´は覚えた。
「そいつは良かったな。だが俺には関係ねえ。
遊びはこれまでだ、さっさと俺を開放しろ」
さもなくば、と拳に宿した炎を一瞬大きく燃え上がらせる。
それでも黒い服のレンの表情は変わらなかった。K´の顔から炎へと視線を移し、小さく首を傾げただけだ。
それと同時に、K´の脳裏にちらりと、赤い火の鳥の姿が浮かんだ。
赤い火の鳥、朱雀、嘉神――連想が繋がるのはあっという間だ。
「比べんな」
むかっと来てK´が言えば、初めて黒い服のレンの表情が変わった。ほんの少し眼が細くなり、いたずらげな色がその目の赤に宿る。
やりづらい、とK´は思った。黒い服のレンは喋らず、表情の変化も少ない。普段周りにいる連中――マキシマもウィップもクーラも、そしてあの白い猫も――が感情表現が豊かなだけに黒い服のレンのような相手はK´を苛立たせる。
「テメェ、さっさと俺を」
腹立ち紛れにK´は腕を振り上げる。
『忘れないで』
「もど……あん?」
遮るように広がるそのイメージに、K´の動きが止まった。
『明日はわたしの、《レン》の誕生日』
それだけ告げると、ふうっと黒い服のレンの姿が薄れ、消えていく。
いたずらげな色はそのままに、小さく笑みを口の端に浮かべて。
『貴方の夢は、わたし(レン)を受け入れてくれた。優しい夢、心地よい夢』
冷たい、だがどこかあたたかく感じられる風がK´の頬を撫でる。
その風になぜかK´の脳裏には白い服の少女の姿が浮かんだ。何故かはわからない。わからないが、それがレンの見せるイメージでないことは確信でき、それが妙に忌々しかった。
「おい待て、消える前に俺を戻しやがれ!」
忌々しさを振りきるように声を殊更に荒げ、黒い服のレンを掴もうと炎を消した手をK´は手を伸ばし――
はっと目を開いた。
そこはK´の暮らす家の居間のソファの上。そこに寝転がったまま、何かを掴もうと手を宙に伸ばしている自分に気づき、K´は舌打ちしながら体を起こす。
ポケットに手を突っ込み、煙草の箱を取り出して一本抜き取り、咥える。指先に炎を灯し、煙草に火をつける。
苛々としながら一つ吸って煙を吐き、今し方の忌々しい『夢』を思い返す。
――テメェの誕生日を知らせに来るとか、なんなんだアイツは。あいつの誕生日知ったところで……
『明日はわたしの、《レン》の誕生日』
K´の醒めた頭に、夢で見たのと同じイメージがふと浮かぶ。
「レンの、誕生日……」
チッ、とまた、盛大にK´は舌打ちする。最後に感じた風の感触が甦り、頬をぐいとこする。
「余計なことを……」
忌々しげに吐き捨てるK´の耳に、澄んだ鈴の音と共に、猫がにゃあと鳴く声が声が響いた。
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