誕生日ログ
白い猫と黒い獣のその日
何を祝えってんだ。
朝からK´は落ち着きがなかった。
一緒に暮らしているマキシマ達が怪訝な顔をするほどに落ち着きがない。
それを気にかけたマキシマやウィップが問えば、仏頂面で「何でもねえ」というか、黙って睨むぐらいだ。
しまいにはふらりと出て行ってしまった。
「K´、どうしたのかしら」
「朝から機嫌悪いね」
「さぁて、あいつが不機嫌なのはいつものことだが」
ダイニングのテーブルで自分とウィップのコーヒーを入れながらマキシマは苦笑した。店の仕込みを終え、朝食を作りに戻っていたのだ。実にこの家のおかんである。
ちなみにクーラはアイスココアを飲んでいる。
――今日は黒いお嬢さんの誕生日だそうだが……つまりそれは……
昨日自分の店にケーキを引き取りに来た朱雀の守護神から知った情報をマキシマは思い返す。
――それはつまり、あの白いお嬢さんの誕生日でもあるってことだな。
K´と共に戦うことの多い、白い服を着たあのにぎやかな少女。K´とは合わないタイプのように見え、実際K´もうざがっていながら何故か完全に突き放しはしないあの少女。
――なるほど、K´が落ち着かなくなるはずだ。
クックッと笑うマキシマにウィップが怪訝な顔をする。
「どうしたのよ」
「何、うちの坊主も青春してるもんだと思ってな」
ぐっと一息にコーヒーを飲み干す。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい、おじさん」
「片付けはやっておくわ」
「頼んだ。ああそれと」
部屋を出かけたところでマキシマは振り返る。
「K´が連絡してきたら、いつでも店に来いと伝えといてくれ」
「? ええ、わかったわ」
きょとんとした顔で頷いたウィップにもう一度「頼んだ」と告げ、マキシマは自分の店――ケーキ店、パティスリー・マキシマへと向かった。
――聞いたところであの万年反抗期が来るかどうかはわからんが……さてさて。
苦笑し、そんなことを考えながら。
――クソッ。
苛々とK´は街をうろついていた。
目的は特にない。あるはずがない。ただ家でじっとしていると昨日の、あの黒猫に見せられた夢が頭にちらついて仕方がないから外を出歩いているのだ。
――今日あいつの誕生日だからどうした。俺には関係ねえ。
ポケットに手を突っ込み、煙草の箱を取り出す。
「…………チッ」
舌打ちして、たまたま近くにあったゴミ箱に空の箱を投げ捨てる。
――だいたいあいつなら、なんかあんなら自分で言いに来るだろうが。言いに来もしないのに俺が何かする必要があるか?
ない、と断じてK´は煙草が買える場所を求めて街を行く。
黙々と歩む。普段ならすぐ見つかるはずのコンビニか自動販売機が見あたらない。苛々して足を速める。
「……ん」
甘ったるい匂いに、K´の足が止まった。
甘いものが嫌いなK´だ、普段はこんな匂いがすれば足早にその場を離れるはずなのだが、今日は何故か足が止まり、匂いの元がどこかを目で探している。
――あれは……確か、マキシマの。
たどり着いた匂いの元は、ケーキ屋だった。掲げた看板には「パティスリー・マキシマ」と記されている。
――…………ふん。
つまらなさげに一つ鼻を鳴らすと、K´は再び歩き始めた。
「どれもついさっき上がったばっかりだ。好きなのを選べ」
ニコニコと、気持ち悪いまでに機嫌良く、マキシマはショーケースの中のケーキをK´に示す。
「………………」
仏頂面で斜めにK´はケーキを見る。ケーキはどれもおもちゃのようにきれいだ。甘いものが嫌いなK´でもそう思う。
しかしそう思っても甘いものが嫌いで、ケーキにも興味がないK´は選べと言われてもどれがいいかなどさっぱりわからない。
――あいつはケーキなら何でもうまそうに食うしな……
「なんでもいい」
「もう少し真剣に選べよ」
まあ、ケーキを買う気になっただけでもたいしたものか、等と呟き、やはりやけに機嫌良く鼻歌まで歌いながらマキシマはショーケーキから一つケーキを取り出した。
「パティスリー・マキシマ特製バースデーケーキ、チョコレートverだ」
つやつやとチョコレートでコーティングされた小さなホールケーキだ。その上に「Happy Birthday」と書いた白いチョコレートプレートを乗せ、マキシマは箱にケーキを収めていく。
「おい」
「なんだ? ああ、代金はお前の今月の小遣いから引いておくから心配するな」
「チッ……いやそうじゃなくてだな、なんだその箱は」
「見ての通りの特別製ケーキボックスだが?」
普通の紙箱に入れたケーキを、更にマキシマは別の大きな箱に収めながら答える。何も不思議なことはないがどうした、とその全身が物語るのにK´は顔をしかめた。
その箱はK´が見る限りジュラルミン製だ。ボックスに収めるマキシマの手の間から見えたその中にはクッションがセットされ、ケーキを収めた箱が固定されるようだ。白い霧状のものが箱の内側からあふれてくるように見えることから、冷蔵機能もついているのだろう。
「配達に使う箱でな。これに入れておけばルガール運送の運搬でもケーキは崩れない。冷蔵機能も内部電源で丸一日は持つ。今のお前にはうってつけだろう」
「なにがうってつけだ」
「さぁな。ほれ、持っていけ。それはちゃんと持ち帰るんだぞ」
軽くとぼけてマキシマは特別製ケーキボックスとやらをK´に突き出した。ちゃんと肩にかけられるように紐もついている。
「…………チッ」
舌打ちしてK´はボックスを受け取り、肩に引っかけた。そのままくるりと踵を返して足早に店を出て行く。
その、これ以上ここにいたら何を言われるかわからないと言わんばかりの素早さに、苦笑とニヤニヤとした笑みを入り混じらせてマキシマはK´を見送った。
特別製ケーキボックスを肩に提げ、K´はあてもなく街をうろつく。酷く重くはないがボックスは軽くもない。あれこれ機能が付加されているせいだろう。
「……クソッ」
なんだって自分はこんなものを持ってうろついているのか、こんなことをする必要はないというのに、何故止めてしまわないのか。自分に対する苛立ちを振りきるすべを思いつけず、K´はただただひたすらに歩く。
――こうなったらさっさと片をつけてやる。
マキシマやあの黒猫の意図に乗るのはこの上なくしゃくだが、こんなものをいつまでも持ってはいられない。
足を止め、ではどこに行けば片をつけられるのかを考える。
――………………
思いつかない。
二人でいないとき、彼女がどこにいるかをK´は知らない。確か一人暮らしのはずだが、その家にも行ったことがない。
連絡を取ろうにも彼女は携帯電話を持っていないはずだ。持っていたとしてもK´は番号を知らない。
――…………クソッ
苛立ちが膨れあがる。どこに行けばいいのかわからない、彼女を探す手段がないことが、酷くK´を苛立たせている。
と、不意に響いた電子音にK´は周囲を見回した。
――違う。
周囲ではなく、自分のすぐ側から聞こえる音に、K´はその場でしゃがんだ。肩にかけていた箱を手で持ち、耳に近づける。間違いない。音源はこの箱だ。
蓋を開けてみると、そこにはK´の携帯電話が入っていた。取り出してディスプレイを確認すると、鳴っていたのはタイマーがセットされていたからだったらしい。
――よけいなことしやがって。
どう見てもK´の思考を見抜いたマキシマの仕業だ。それにむかつきはするが探す手段が手に入ったことも間違いない。
舌打ちしながらも誰か、彼女の行き先を知ってそうな人物の番号を登録してなかったかとK´は携帯のアドレス帳を確認する。当然K´が自分で登録したものではない。必要だと思われる番号をマキシマが随時登録してくれているのだ。
――路地裏なんとかって連中の番号は……無いか。あとは……
思い浮かんだのは、黒いコートのあの少女。おそらく、誰よりも彼女のことを知っている少女。
あいつも携帯を持っていなさそうだが、と思いながらK´はアドレス帳を確認した。
――直接繋がるのは、ないか。……だがこっちなら、通じる……
見つけた番号を忌々しげに睨み付けるが、今はここにかけるしかない。やはり黒いコートのあの少女は携帯を持っていないようで直接繋がる番号は載っていないのだ。そもそも、ほとんど喋らないあの少女に携帯がどれだけ必要なのかは怪しいところである。
「……もしもし。誰だ?」
最初に取ったものから電話を取り次いで出たその男――嘉神慎之介の声は不機嫌だった。K´は名乗りもせずに電話に出た相手――嘉神の屋敷の使用人だろう――に「嘉神を出せ」と言ったのだから仕方がないのだが。
「アンタでも黒いのでもいい、レンのヤツがどこにいるか知らないか」
負けず劣らずに不機嫌に、やはり名乗らないままK´は問う。さっさと用件を片付けたい一心だ。だいたい、嘉神のこともK´は好きではない。長く話していたい相手ではないのだ。
「貴様、K´か……レンだと?」
返った声は怪訝な響きを宿していた。だが、数拍の間の後、「あぁ」と納得した声がする。同時に、電話の向こうの嘉神の雰囲気が変わったのをK´は感じた。
ケーキ屋でのマキシマの雰囲気と似たそれに、K´は眉を寄せる。
「いや、うちには来ていないが」
「わかった」
来ていない、知らないなら用はない。K´は電話を切ろうとする。
「待て」
それを止めた嘉神の声は何やら楽しげで、K´の眉間のしわが深くなる。
「なんだ」
「彼女のいそうな場所に心当たりはないでもない」
「教えろ」
ぶっきらぼうなK´の言葉に気を悪くした風もなく、嘉神はとある公園を告げた。たまにそこで見かけることがあるという。
「そこか。そこなら知っている。中央通りから道一本西に外れたところのやつだろ」
静かなその公園は街中の緑地スポットとして作られた場所で、オフィスビルに囲まれているせいか人はあまり訪れない。マキシマやウィップの説教や、クーラのわがままから逃げて家を出たときに、K´はそこにいくことがある。タイミングが合わなかったか、レンとそこで会ったことはなかったのだが。
「そうだ」
嘉神が肯定するのを聞くや否、K´は電話を切った。手がかりを得たならもう話を聞く必要はない。
立ち上がってケーキボックスを肩に担ぎ直し、K´は早足に歩き始めた。さっさとケリをつけてしまいたいと思いながら。
白いコートをまとい、白銀の髪に白いリボンを括った白い少女――レンは一人、その公園でブランコに乗っていた。
他に人の姿はない。
ゆらゆらとブランコが自然に揺れるのに任せ、うつむいているレンは寂しげに見える。
「……おい」
歩み寄り、K´は声をかける。
「えっ」と顔をあげた――何を考え込んでいたのか、K´が声をかけるまで気づかなかったようだ――レンの赤い目が驚きに丸くなる。
「K´……え、なんで……?」
「届け物だ」
レンの前にケーキボックスをどん、とK´は置いた。
「なによ、これ」
とん、とブランコから降りたレンに「開けてみろ」と素っ気なくK´は言った。本当はこのままもう帰ってしまいたいが、ケーキボックスは持ち帰れとマキシマに言われているから帰れない。仕方がない。
ボックスを開けるレンを斜めにK´は見下ろす。
さっき感じた寂しげな気配はない。うずうず、わくわくしているのが、その後ろ頭だけ見ていてもわかる。
――簡単なヤツ。
フン、とK´は鼻を鳴らすがそれに気づかずにレンはボックスの中から紙箱を取りだした。
「これって……ケーキ?」
紙箱も開けたレンがさっきよりも驚いた様子でK´を見上げる。その頬は上気し、赤く染まっている。
「他のなんだってんだ」
「………………」
レンの表情が歪んだ。赤い目が、潤んだようにK´には見えた。
だがすぐに隠すようにレンはうつむいた。
「ば、バカね、こんなところでケーキ手渡されても困るわ」
「なんだと」
「だってそうでしょう? これを今から持ち帰れっていうの? わ、私だってこれから予定があるのに」
時々言葉をつっかえさせながらも、うつむいたまま早口にレンはまくし立てる。
「いらねえってのか」
「だからっ!」
ばっ、とレンは顔をあげた。赤い顔で、睨まんばかりの気迫でK´を見つめる。
「今から食べるから、付き合いなさい!」
「……あん?」
予想外の言葉に、ぽかんとK´は声を洩らした。
「ほら、お皿もフォークも、ナイフまで入ってるわ。ちょっと狭いけどこっちの箱をテーブル代わりにして……」
いつマキシマはそんなものを入れていたのか。とにかくボックスから皿やフォークを取り出し、レンはとりあえずブランコの上に置く。蓋を閉じたボックスの上にはケーキを置いた。
「食うなら一人で食え。俺はいらねえ」
用意を進めていくレンにうんざりとした顔で待ったをかける。半ば、諦めの心境もないではないが。
「何言ってるのよ。貴方はわたしのマスター(操り人形)よ。マスターが使い魔の言うことを聞かなくてどうするの」
相変わらず、「マスター」の発音に怪しい響きを宿し、根本的におかしなことをレンは言った。当然至極の決定事項を告げるかのようなその口調は、K´の拒否権を認めていない。
しかしレンが認めるとか認めないとかはK´には関係のないことだ。
「俺はそんなもん……」
ぐう、と音が鳴った。
「……………………」
「……………………」
何とも言えない沈黙が、K´とレンの間に漂った。
公園に置かれた時計台は、昼をとっくに過ぎている。朝家を出てからK´は何も食べてない。煙草さえ吸っていない。
「食べなさいよ。貴方が甘いもの好きじゃないのは知ってるけど、お腹空いてるんだし今日ぐらいいいじゃない」
クスクスと笑うレンは、もうケーキを切り分けてしまっている。
「これ、パティスリー・マキシマのケーキでしょ。あそこのケーキは甘さを抑えたものが多いから貴方も食べやすいと思うわ」
はい、とケーキとフォークを乗せた皿をレンはK´に突きつける。
半分は空腹に負けて、K´はケーキを受け取った。
何でもいいから今は腹に入れたい、そう自分に言い聞かせ、ブランコに腰を下ろす。
「………………」
パティスリー・マキシマ特製のチョコレートケーキはチョコレートの風味を生かし、甘さ控えめだが苦みはアクセント程度にとどめた絶妙の味わいになっていた。甘いものが嫌いなK´だが、これなら食べられる。
――これ一つで十分だがな。
空腹でもケーキ一つ以上はK´にはきつい。はぐ、と最後の一口を口に放り込み、ほとんど噛みもせずに飲み込んだ。
手で口元を軽く拭い、隣のブランコのレンに目を向ける。
「♪」
幸せ一杯の表情で、レンはケーキを食べていた。まだ一つ目の半分ほどしか食べていないのは、K´が食べるのが早すぎたせいか。
――…………違うか。
何気なく視線を動かしたK´は、ケーキボックスの上に置かれた、六等分されたホールケーキの残りが三きれになっているのを見てしまった。
――……俺は何も見なかった。
自分に言い聞かせてK´はレンに視線を戻す。
「………………」
ばったりと、レンと視線が合ってしまった。
「もう一ついるんだったら、食べていいわよ?」
ニコニコと、レンはやはり幸せそうにぱく、とフォークを口元に運ぶ。
「いい」
腹一杯だ、とK´は思った。
皿をとりあえずケーキボックスの上に置こうとブランコから立ち上がる。
ケーキボックスの上の半分になったホールケーキの隣に皿を置く。
――……ん?
切るのに邪魔だったからだろう、白いチョコレートプレートは横にどけられていた。
「………………」
チョコレートプレートをK´はつまみ上げた。くるりと振り返って一歩でレンに歩み寄り、ぐさりと三分の一になった彼女のケーキに突き刺す。
「な、なに?」
突然突き刺されたチョコレートプレートに戸惑い、きょとんとレンはK´を見上げた。
「それも食えるんだろ。食っとけ」
「え、ええ……」
戸惑った顔で、レンはケーキに目を向け、「あ」と小さく声を洩らした。
K´は踵を返す。この分だと、ホール完食ぐらいレンはするだろう。それまで――そうたいした時間でもないだろうが――ベンチで横になっていようと。
「……フン」
歩みながら、K´はその言葉を聞いた。
嬉しさにあふれたレンの声は、恥じらってか囁くような声だったが、はっきりとK´には聞こえていた。
……ありがと、K´――
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