白の手袋を外して露わになった男の手は大きく、楓にはそれが少々意外だった。普段ずっとはめている手袋のせいか、もう少し小さい印象だった。仮に――実際にそうする機会などないだろうが――楓と男の手と手を合わせて比べれば、指の節半分ほどは男の方が大きいように思われた。
その、思っていたよりも大きな手で男は皿から握り飯を取った。楓の手にもある握り飯よりいくらか小さく見えるのは男の手を大きいと感じているせいか。
男が握り飯を口にする。無造作なようで、どことなく品が良い。一口は大きすぎず小さすぎず、しっかりと咀嚼してはもう一口。数度繰り返し、湯飲みに手を伸ばす。
それらすべてが何やら不思議の光景に思えて、楓はまじまじと男を見つめていた。
「……」
と、茶を飲んだ男の碧の眼が楓へと向いた。
「なんだ」
楓が自分を凝視しているのに気づいたのだろう。男――朱雀の守護神、嘉神慎之介の顔には怪訝の色が浮かび、眉間にはしわが寄っていた。
「楓、慎之介がどうかしたデス?」
嘉神だけではない、白虎の守護神である直衛虎徹や、玄武の守護神である翁も楓を見ている。
今日は数ヶ月に一度、翁の庵で開かれている守護神の会合の日だ。地獄門の封印は安定しているものの、近年続く日の本の国の争乱は未だ収まる様子はない。現世に負の念が増せば地獄門にも影響が出る。即ち、四神の守護神もまだまだ気を抜けない状況が続いており、そのための定期的な会合である。
会合では地獄門の様子や守護神達それぞれの近況や見聞きした世の様子、一条家などの協力者達からの報告等について話しあうのが常だ。今日もそれらの話を一通りの話を終えたところ、翁が小腹が空いたであろうと握り飯と茶を出してくれたのであった。
翁手製の握り飯は見るからに美味そうで、ありがたくいただこうとした楓はそこでふと、自分の左手方に座す嘉神の様子が目に入り――今に至る。
「あ……いや……」
気恥ずかしさと言葉を探すためとで視線を宙へとさまよわせ、しかし結局何も言い訳は思いつかなかった楓は素直に白状することにした。ぶしつけに嘉神を眺めていたことへの申し訳なさも、ある。
「えっと……嘉神もおにぎり食べるんだなあってなんか、思っちゃって……ごめん」
早口に詫びの言葉を付け加えたのは、嘉神の眉間のしわが明らかに深くなったのを見たからだ。次いで、嘉神の手にまだある握り飯が、少し潰れたのも見えた。
「……」
嘉神の口が開く。苛立ちの言葉か、重いため息か、それとも他の何かか。とにかく嘉神の不機嫌が吐き出される――はずだった。
それを遮ったのは、
「オイラもわかるデス! 慎之介もご飯を食べるの、当たり前なのに何だか不思議デス」
虎徹の無邪気な言葉だった。
「……」
また一段、嘉神の眉間のしわが深くなる。
はぁ、とため息がようやく吐き出された。
「……何が……」
言いかけた言葉を切って手の握り飯を一度見やり、小さいため息をもう一つ。
「……妙なことを考えず、黙って食べろ」
嘉神が言おうとしたことを飲み込んで、言葉を変えたのはわかった。それでもうこの話は終わりだと手に残った握り飯に改めて口をつける。
「……」
楓と虎徹は視線を交わし、互いに小さく笑みを浮かべた。困ったような、申し訳ないような、それでいて、少し楽しい気持ちで。
――嘉神もこんな顔するんだね。
――するんデスね!
言葉は口にせずとも、同じことを思っているのがわかる。
嘉神慎之介も自分達と変わらないのだと――
「ふむ、そうじゃのう」
それまで黙っていた翁が口を開く。白い髭に埋もれたその眼はやさしい、そして先の楓達と似た楽しげな光を宿していた。
「これからは皆で食事をする機会を増やそうかの。会合を始める前でも終わってからでも良いし……ふむ、状況次第じゃが食べながら話をしても良いのう」
「それ、いいデス! みんなでご飯楽しいデス!」
真っ先に虎徹が声を上げる。
「ね、楓」
「う、うん、そうだね……」
勢いよく虎徹に同意を求められ、ぎこちないながらも楓は頷いた。翁の提案には戸惑ったし、四神の会合と食事会を合わせて良いものだろうかと少しばかり思いもする。
けれど楓は思った。
そういうのも、良いのではないかと。
これからも共に地獄門の封印を、現世を守っていくならば食事を共にできるぐらいの仲であった方が良いだろうと。
翁もそう思って言ったのであろうし、虎徹も同じ想いで賛成したのだろう。
そのきっかけは、そうしようと、そうできるだろうと思えたのは、間違いなく――
「…………」
楓と、虎徹と、翁と。期せずして同時に向けた視線の先の、苦虫を噛み潰したような顔をした嘉神。
「のう、慎之介。次は汁物もつけようかの」
「オイラ、イノシシ取ってくるデス! 焼いても汁に入れても美味いデス!」
「……あ、じゃあ僕は山菜取ってこようかな」
「…………」
無言で口内の握り飯を嘉神は咀嚼し、飲み込んだ。先ほどよりも速い動きだったが、やはりどことなく品が良い。
それからため息をまた一つ。
「……四神の務めが疎かにならないのであれば、私に異論はない」
「わぁい! じゃあ、慎之介は何を持ってくるデス?」
「……」
つい、と嘉神の視線が伏せられる。一瞬今度こそ嘉神が怒ったか、呆れきったかと楓は慌てたが、
「……味噌でも米でも、入り用なものを」
すぐに視線をあげて嘉神が答えたことで、あれが思案の様子だったと理解した。
――って、味噌とか米とか持ってくるんだ……
俵を担いでくるのだろうか。嘉神慎之介が。俵を。
ちらと楓の脳裏に浮かんだその像は、碧い眼の一瞥に霧散する。
「……フン」
首をすくめる楓から視線を外した嘉神は手巾で手を拭って白の手袋をはめた。
だから、嘉神が視線を手袋に向けていたから、冷ややかに鼻を鳴らしたようで存外、その眼差しがやわらかだったことに気づいた者はいなかった。
これ以降、四神の会合ではしばしば、皆で持ちよったもので作った料理を食べるようになったのである。