怒り/許し
不意に、目の前が明るくなった。
「テメェ……っ」
それが小さな手がサングラスを奪い取ったからだとK´が気づいたのは呆れたような、怒ったような、哀れむような、愛おしむような――あの、赤い目を見た瞬間。
「返せ」
胸の奥の、何かやわらかい部分を無遠慮に引っかかれるような苛立ちに伸ばしたK´の手の先からあっさりとサングラスは遠ざかる。
「部屋の中でまで掛けてるものじゃないでしょ。テレビ見づらくない?」
肩をすくめた赤い目で白い服を纏った白銀の髪の少女――レンはサングラスをパタンと畳むと自分の服の何処かにしまってしまった。服のどこかにポケットがあるらしいがどこなのかはそれなりのつきあいながらK´には未だに分からない。
「テメェが口出しすることじゃねぇだろ。返せ」
「出かけるなら返してあげるわ。今日はちょっと陽射しが強いもの」
「……」
K´に外に出かける気は、ない。予定自体が何もない。
ソファにもたれ、たいして面白くもないテレビを眺めながらだらだらと時間を潰す。そんな日を過ごすはずだった。
「出かけないなら、いいじゃない」
ふふん、と笑ってレンはK´の隣に腰を下ろした。人一人分ぐらいの間を空けているので隙を窺ってサングラスを取り戻すのは少々難しそうだ。
「…………」
K´はサングラスを取り戻すのは諦めて目を閉じた。レンと仲良くテレビを観る気もない。となれば昼寝ぐらいしかすることがない。退屈なテレビ番組の音を聞き流しながらゆるりと訪なうまどろみに身を任せ――
「いいかげんにしなさいよ!」
左手に走った衝撃と怒鳴り声がまどろみを引き裂いた。
「テメェ……っ!」
跳ね起きるように身を起こし、K´はレンを睨み据えた。
「さっきから……」
「ここは、貴方の家よ」
何しやがる、そう怒鳴り返そうとしたK´の言葉は、どこか悲痛な響きを宿したレンの言葉に遮られて。思っても見なかった声の響きといまいち意味がわからない言葉にK´は再度口を開くきっかけを見失う。
「貴方が誰かの顔色を窺わなくて良い場所なの」
――俺が、他人の顔色を窺う……だと……
誰がそんなことを、自分がそんなことをするはずがない、そう反論しようとしてK´はできなかった。
奪われたサングラス。室内だというのに掛けていた。
払われた手。あの手を自分はどうしていた――目元を覆っていなかったか。
――……っ……
何故、などと自問するまでもなかった。
少し前から、K´は他者に自分の目を晒すのを避けるようになっていたのだから。
いつの頃からだったか、K´の目の色が文字通り変わるようになっていた。金茶だったはずの目の色が、青になる。かと思えばまた金茶に戻る。
人格や能力の切り替わりで目の色が変化するものはMUGEN界には何人もいる。しかしK´のように条件もなく変化するものはいない。少なくともK´は知らない。
K´が知っているのは、この目の色の変かをコントロールすることは今のところは不可能だということだけ。
そんな状況から、K´は他人に余計な詮索をされたり奇異の目で見られるのを嫌い、外出時にはサングラスをかけ続けるようになった。「大会」の「試合」中でもほぼ外さない。
それがいつの間にか、気心の知れた、K´の今の状況も知っている者しかいない自宅ですら、目を隠すのが当たり前になっていた。
「だらだら怠惰に過ごそうが寝てようが別に良いわよ。
でも、ここでまで隠す必要は無いってことぐらい覚えておいて」
無言のK´の様子をどう見たのか。レンは低く、言った。
――……ひでぇ顔……
感情が昂ぶっているのか、声色に反してレンの顔は赤い。怒っているのに泣きそうで、呆れているようでもあって、哀れんでいるようで――K´を案じ、想う顔だった。
その声に、その顔に、胸の奥の、何かやわらかい部分を撫でられるような、くすぐられるような感覚があって。
――チッ……
舌打ちが音にならなかったのは、おそらく偶然。
たぶん、きっと、それが苛立たしく、K´はレンから顔を背け、再びソファに背を預けると固く、目を閉じた。
左手は枕に、右手はズボンにポケットにねじ込んで。
ややあって、幽かな溜め息と共に小さな気配が自分の足下に座り込んだ気配を、K´は感じた。
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