黒の獣は気づかない
白い少女――白レンはベッドで昏々と眠る。
もう丸一週間こんな状態のままだ。緩やかな呼吸は規則正しく繰り返されてはいるが、目を覚ます気配はいっこうにない。
待つしかないのはK´にはわかっている。K´と白レンの間には主と使い魔の契約があり、その契約に基づくパス――目に見えない繋がり――がある。そのパスで、なんとなく相手の状況はわかるのだ。白レンの命の危機はない。それは間違いない。理屈はないが理解している。確信している。
だがK´は落ち着けない。うろうろと白レンの部屋の前をうろつき、ドアのノブに手を触れるが開けずに結局手を離す。居間にいる時はぼんやりとしているだけで好物のジャーキーもろくに食べないでいる。
そんなに心配なら傍に行けば良いのに――同居人達はそう思いつつ口には出さない。素直でないこの青年にそれは逆効果だと知っているからだ。「心配している」そう指摘されても認めはすまい。
それだけではなく、白レンがこうなった事情が事情であるだけにK´をそっとしておきたい、そんな心理も同居人達には働いている。
ことの始まりは十日ほど前にさかのぼる。
イグニスがK´達に倒されたあとのごたごたの際にネスツから離反し独自に動いている連中を発見したとハイデルン傭兵部隊より連絡があった。制圧の協力を求められ、傭兵部隊には色々と借りもあることから渋々K´は承諾したのだった。
作戦は至ってシンプル。バックアップはマキシマが務め、ウィップは傭兵部隊との連絡役、そしてラルフ、クラークが部隊を率いて突入する間にK´が単独で基地中枢へと進入し中枢システムを掌握するという手はずであった。
作戦実行は三日後。侮ること、油断は厳禁とは言え所詮は小規模な離反勢力、作戦は滞りなく終わるだろうとK´は思っていた。
しかし想定外のことというのは起きるものである。
当初の調査では何の障害も無いはずだったK´の進入経路に防衛システムが設置されていたことが一つ。
もう一つはK´に白レンがついてきていたことであった。夢魔、使い魔でありタタリである彼女は自らの能力を駆使してK´やマキシマ、傭兵部隊の誰にも気づかれずにいたのだ。
防衛システムが作動し、無数の生物と機械を組み合わせたらしい羽虫の形をした迎撃兵器――マキシマが「ワスプ」と命名した――の前で姿を現した白レンは優雅に微笑み、通信機の向こうで驚きを通り越して呆れ果てた溜息をついたマキシマ、あからさまに不機嫌さを増すK´に構うことなく言った。
「苦労してるわね、ご主人様(マイ・パペット)。助けてあげましょうか?」
「次から次へともう、しつこいわね!」
スカートを翻して攻撃から身をかわし、白レンが氷の刃を振るう。貫かれた「ワスプ」は爆散する。
「K´、後ろ!」
白レンの声に振り向きもせずにK´は「ワスプ」を焼き払う。当然、無言だ。しかし白レンは抗議ではなく別の怒りを口にする。
「ああ、もう! 何が簡単な「仕事」よ!」
「ワスプ」を光の弾で打ち消しながら白レンがハイデルンにあとで絶対思い知らせてやると呟いた。確か十三回目だったか――ちらりとK´がそんなことを考えた、瞬間。
「チッ」
右、左、それから上。三方から一斉に「ワスプ」が襲いかかる。振るった右手から炎を放って右を焼き払い、振るう腕の勢いに体を乗せて蹴り上げる。炎はその足からも放たれ、左と上から来る「ワスプ」を一度に霧散させた。
そこで息つく暇はなく――K´の視界に右斜め上から来る「ワスプ」が入る。体を大きく捻る。半ば転がるようにして「ワスプ」から間合いを取る。「ワスプ」はK´を追ってくる。いつのまにか二匹に増えている。一匹が加速する。時間差の連続攻撃か、と思いつつも体は既に動いている。地を蹴る。右拳に炎が宿る。右腕を一瞬弾き、拳を「ワスプ」に打ち込む。一匹を砕き、その勢いのまま二匹目も――
「っ」
K´の目が見開く。その目に映るのは「二匹に分裂した」、二匹目の「ワスプ」。一匹は拳の前に爆散するも、もう一匹が炎の消えた右拳に襲いかかる。
反射的に強引に腕を動かしK´は「ワスプ」に拳を打ち付けた、が、それを待っていたかのようにワスプの細い足が開く。拳を捕らえる。
ちくり、と小さな、しかし鋭い痛みが拳に走った。
――まずい。
脳で響くアラートのままに、K´は炎を拳に宿す。「ワスプ」が炎に弾かれ、爆散。
だがその「ワスプ」の役目は既に終わっていたことをK´は、知る。
「……っ」
どくり、と心臓が一つ大きく鼓動する。
ぞわり、と体内で「赤」が蠢く。
「……チッ」
己の舌打ちに焦りの感情が含まれているのを、妙に遠くにK´は聞いた。
赤が、右拳に宿ったままの炎が膨れ上がる。内で蠢いた赤が出口に気づいて一気にそこへと流れゆく。K´の意志に、制御に炎が従わない。荒れ狂った炎は右腕から吹き上がる。
『どうした!?』
「K´!?」
マキシマの声が耳に仕込んだ通信機から、白レンの声が遠くでごうごうと炎が唸る音の向こうに聞こえた。だが応える余裕などK´にはない。赤が、力が、右腕から吹き出していく際の熱と痛みに耐えられずに膝をつく。叫び出さないのが自分でも不思議だった。
既にK´の右腕全体を飲み込んだ炎は更に猛り狂って火勢を増していく。
「ワスプ」はそんなK´を見守るように動きを止めていた。
――……始めから、俺を狙っていたってことか……
何の意図かはわからない。知るよしもないし知る気もない。だがこの基地の連中の、少なくとも目的の一つはK´の炎を暴走させることだと見て間違いない。
『グローブの制御プログラムにウィルスがぶち込まれたな……チッ、K´、大丈夫か』
「……むしろ、好都合だ」
吐き捨てるように言ってK´は腕を振るう。
「K´、下がって! そんな状態じゃ無理よ!」
白レンの声にK´は応えず――
「手加減無しだぜ……!」
炎が踊る。燃えさかる炎が喜々として「ワスプ」に襲いかかる。くびきから解き放たれた――否、
――今こそ、不釣り合いな器から解放される時――
「うるせえ!」
浮かんでしまった己の思考か、炎の意志とやらか、どちらともつかないその「声」を振り払うようにK´は猛る炎を「ワスプ」の群れにたたき込んだ。
時間をさほどかけずして、あれだけいた「ワスプ」は全て業火に焼き尽くされた。
しかし。
「K´……!」
ごうごうと音を立てて、赤は燃え続ける。
K´の右腕はもう、炎の中で黒い影としか見えない。炎はそれだけでは飽き足らないと言わんばかりに、K´の全てを飲み込む勢いで更に勢いを増して燃え上がる。
暴れ狂う炎を無理矢理制して「ワスプ」は一掃したものの、グローブはまだ機能を取り戻さず、K´にも炎を抑えきる力は無い。
『すまん、もう少しかかる……っ』
通信機の向こうのマキシマの声には明らかな焦り。それを嘲笑うように燃えさかる炎の音を聞きながら、K´は膝をついた。
熱い。ひたすら、熱い。炎に包まれた右腕も、全身を巡る血液の流れも、鼻から、口から通う息さえも熱い。自分の全てが炎へと変わっていくかのような感覚。
聞こえる、耳の奥から響くのは歓喜の声か。
「くっそ……」
熱のせいで頭がくらくらする。思考がまとまらない。グローブの補助無しで何とか炎を抑えつけようとする意志が、体力が限界に近づいているのがわかる。
それでも、朦朧とする意識の中でK´は左手を地に着いた。右の拳を握る。もう力の入れ方もわからなくなってきた体に立てと怒鳴りつける。
「……ざ、けんな……」
グローブの制御がないからどうしたのだというのだ。
不釣り合いな器だからどうしたというのだ。
荒れ狂う炎ごときに自分をいいようにされるのはK´には我慢ならなかった。身勝手な力に振り回されるのは許せなかった。
「炎なんざ……グローブがなくても……っ」
ふらつく足を踏みしめ、K´は立ち上がった。が、嘲笑うように火勢が勢いを増す。力がごっそり抜けていく感覚に、K´の視界が暗くなる。再び膝をつく。意識が、身体感覚が薄れていく――
「くっ……そ……」
「……みっともないわね」
優雅に、やさしく。
ひやりとした冷たい風がK´の頬を撫でた。
かすむ目に映るのは、白い少女。言葉とは裏腹に、泣きそうな顔をしている、K´にはそう見えた。
「わたしのマスターのくせに、何やってるのよ」
言いながら白レンが歩み寄ってくる。言葉の響きがいつもと違うとK´は思ったが、炎の唸りのせいかもしれない。あと僅か、気を抜けば消え失せそうな意識のせいかもしれない。
――あいつが、あんな顔で……あんなこと言うわけが……ねえ……
白い小さなかけらが白レンの周囲できらめいた。途端、炎の唸りが大きくなる。
K´の炎――草薙の炎は「祓う」もの。
「祓う」対象はオロチだけではない。人を害する人ならざるもの全てがその対象となる。
白レンは人ならざるもの、魔に属するもの、吸血鬼の性を持つもの――草薙の炎は彼女にとって大敵。
制御の外れた炎が己が存る理由、己の役目に従って魔を「祓う」は確実。
K´は熱を一瞬忘れた。背筋に伝ったものはそれほどまでに冷たい。眼前の白い少女が絶対的な命の危機にあるという事実に身がすくむ。
何故だ、と熱の中でおぼろにK´は思った。命のやりとりには慣れている。自分の、仲間の危機も何度も乗り越えてきた。なのに何故、今自分は――
――怯えて、るのか……まさか……何故……
「っ、……」
何か言わなければ、そう思ったというのに声が詰まる。炎どころか声までがK´の意に従わない。
――っ、くっそ……
「……来る、な……うぜえ……」
どうにか声を絞り出し、白レンをK´は睨み付けた。炎に対してあまりにも白レンは無力としか思えない。役立たずに近づかれ、死なれるのは面倒だ。そう、面倒なことだとK´は心中で呟く。
しかしK´の声が届かなかったのか、届いてなお無視をしたのか、白レンの歩みは揺るがず、止まらない。
炎が白レンへと、飛んだ。「ワスプ」を焼き尽くした時よりも激しく、熱く、草地を奔る野火が如く。
「甘く見ないで」
白レンに襲いかからんとした炎がきらめきに阻まれる。しかし阻んだきらめきはじゅうと弱々しい音を上げて消え、新たな炎が白レンへと襲いかかる。
「わたしは“タタリ”、わたしは“夢魔”、わたしは“雪原より出でる夢の女王”。
いいこと」
逃げるそぶりも見せず、己を滅ぼす炎が絡みつくのに恐れも見せず、白レンはK´の傍らに立った。
赤い火の粉と白のきらめきの舞う中に立つ、白い少女。その白銀の髪、白皙の肌、雪白の服に炎は絡みつき、這うが焦げあと一つ残さない。ただ少女の存在が“薄れて”いく。視覚的にそうと解るわけではないが、白レンと繋がったパス――勝手に結ばれた、K´にとってはやっかいな、主と使い魔の繋がり――からその事実が伝わり、K´の途切れそうな意識にも理解させる。
「テメ、ェ、来る……なって、言ってんだろ……!」
どうして白レンは命の危機を冒しているのか。K´には意味がわからない。
白レンはK´と使い魔と主の契約を結んでおきながら、主であるK´のことを時に「操り人形」呼ばわりする。つまり、主だなどと端から思っていない。自分が世界に現界するための重しとしてK´を利用しているだけだ。そう白レンは言っていたし、K´もそうなのだろうと思っている。
仮にK´を失っても白レンはすぐに消えるわけではない。次の主という名の重し、彼女言うところの「操り人形」を見つけることだろう。
K´を救う理由など、白レンにはない。
「いやよ。こんな炎にわたしのマスターを好きにさせない」
K´の言葉を一蹴した白レンの声が凛と響く。何をこいつは言っているのか。いつもと何かが違う、それはわかるが何が違うかまではわからない。
「悪夢を作るのはわたし。貴方じゃない」
りぃん、と鈴の音がした。二度、三度、澄んだ音が繰り返され、重なり、広がり、無数の音が鳴り響く。白レンの足下から、雪原が広がっていく。
「大丈夫」
鈴の音の鳴り響く中、白レンは囁く。普段の彼女のつんけんした声とは違う、やさしい、慈愛に満ちた声。炎の赤よりなお深く鮮やかな赤の瞳に宿すは、一途な想い一つ。
――貴方を、助ける。
熱におぼろな意識の中、K´は白レンの瞳に宿る想いがそう見えた。バカな、こいつが、何故。信じられなかったがそうとしか見えなかった。
小さな腕が、炎に包まれた右手側からK´を抱きしめる。K´には振り払う力は既になく、呆然とされるがまま。
「わたしが、貴方を守る」
赤の炎に呑まれながらも白の少女の声は震え一つなく澄んでいて。
「わたしは“タタリ”。
わたしは“夢魔”。
わたしは“雪原より出でる夢の女王”。
わたしは――」
白い少女の体が淡い光を放った。
白銀の光は炎を、K´も包み込んでいく。
「わたしは あなたの したしきもの」
心地良い、とK´は感じた。
見えぬパス、白レンとK´を繋ぐパスから流れ込むひやりとした力がK´の体を巡っていく。熱を持って早鐘を打つ心の臓を緩やかに冷やし、落ち着かせていく。
しかしそれに伴って、抱きしめる少女の存在が更に希薄になっていく。溶けていく雪のように――そんな感覚にK´は左手を少女へと伸ばした。
――大丈夫。
K´の左手に、小さな手が重なる。大丈夫と繰り返し告げるように小さな手はK´の手を握る。
――……小せえ……冷てぇ……だが……
感覚のない手を動かし、握り返す。少なくとも、K´の意識はそのつもりで。
それが精一杯で、K´の目が閉じた。最後に目に映ったのは炎の中でやさしく微笑んでいた、白レンの顔。
心地良い、とK´は感じ――意識はそこで、途切れた。
K´が意識を取り戻したのは二日後だった。
基地中枢はラルフとクラークによって制圧され、その後K´と白レンは回収されたのだとマキシマが言った。回収時にはマキシマによってグローブの制御機能は正常化し、白レンの力もあって既に炎の暴走は治まっていた。しかしK´も、K´を抱きしめていた白レンも意識はなかった。すぐさま二人は医療施設に送られ身体状況を検査された。
K´は検査で問題が無かったこともあり――元々たいした負傷もなく、炎の暴走による体力の消耗だけだった――医療施設ではなく自宅で休ませることにしたのだという。実際、少しだるさがある程度でK´の体は問題なく動き、五感も正常だった。
白レンもまた外傷は無く、マキシマのツテで診察を依頼した魔法使いアリス・マーガトロイドの見立てが「衰弱してはいるが命に別状はない。目が覚めるまで待つしかない」であったことから自宅で様子を見ることになっていた。
なお作戦は成功したらしい。ただK´の戦闘データをどこかに転送した形跡があった。炎の暴走もグローブへの干渉だけでなく、K´にも薬を投与した痕跡があったらしい。つまりは今回の件は最初からK´を狙った罠と見るべきであり、ハイデルン達が追跡調査を行っている――そんな話をマキシマやウィップがしたがK´はほとんど聞いていなかった。終わった作戦に興味はなく、その後のことは何かわかってからでいい。調べるのはK´の仕事ではない。それに何より気がかりなのは――
「……チッ」
目を覚ましてから、五日目。
くるりとK´はその部屋の――白レンの部屋のドアに背を向ける。白レンの命に別状はないのだ。放っておけばそのうち目を覚ましていつも通りギャーギャーうるさく騒ぐはずだ。きっと恩着せがましく「わたしが貴方を救ってあげた」などと言ってもくるだろう。鬱陶しいことこの上ない。それなら、今のうちに静かな時間を楽しんでいれば良い。今日はマキシマもウィップもいない。久しぶりにのんびりゆっくり過ごしていればいい。それでいい。誰もK´を咎めはしない。
「じゅーさんかいめー」
呆れきった、それから少し怒った声にK´の足が止まった。ドアからはせいぜい1mしか離れていない。
「今日だけで13回目だよ」
いつからそこにいたのか、腕組みしたクーラがK´を睨んでいる。
「マキシマやウィップは放っておけって言ったけど、やっぱりK´も白レンのこと心配してるんでしょ。クーラ知ってるもん」
「……うるせぇ」
「傍まで行ってあげた方がレンも嬉しいよ」
「うるせぇっつってんだろ。寝てるあいつが嬉しいもないだろ」
「そんなことないもん。寝てたって、傍にいてくれるの嬉しいよ。クーラもそうだもん」
「……」
応えず早足にK´はクーラに背を向ける。向けた前には白レンの部屋のドア。一瞬立ち尽くしかけ、九十度反転したところで、はぁ、とクーラが大きな溜息をつく音がした。
「もう、しょうがないなぁ!」
歩み寄る足音に続いてさらりと長い茶の髪がK´の横をなびいてゆく。そのまま、何の躊躇いもなくクーラはドアのノブに手をかけた。
「おい待て」
「聞こえなーい」
ドアに手をかけたままクーラは振り返るとK´の手を取る。クーラを止めようとしていたK´は避ける間もなかった。
華奢な少女の姿をしているとはいえクーラもネスツの子だ。その膂力はあなどれないし相手の動きをどうすれば思いのままにできるかはその体に刻み込まれている。K´に踏ん張る隙を与えずにぐいっと引っ張ると同時にドアを開け、白レンの部屋に引きずり込んだクーラはすかさず手を離し、
「じゃねー」
笑顔で言ってK´が体勢を立て直す前に静かに外からドアを閉めた。
「ふざけんなっ」
慌ててK´がノブを回しても開かない。というかノブが動かない。ひやりとした感覚にクーラが外側のノブを凍らせてしまったのだと察した。
「あの、バカ……」
どうしようかとしばしドアの前で考え込むが名案など出ない。ドアを蹴破るのも焼き尽くすのも簡単だが、後が面倒すぎる。
――あいつの気が済むまで待つしかねぇか……
仕方が無いと諦め、ドアに背を凭れさせる。この部屋の中で動き回るのは、なんとなく気が引けた。下手に動いて部屋の物に触って、後で騒がれるのが面倒だ、と理由を見つける。頭もドアに凭れさせかけ、ふと、K´の動きが止まる。
――……くそっ。
見たくなかったものが、視界に入っていた。
ベッドに眠る、白い少女。
レースのカーテンが引かれ、照明のついていない室内は少し暗い。その中で、少女の白銀の髪、白い肌が際立って見えた。普段なら生き生きとした生を感じるのに今眠る少女はまるで人形のように生気が無かった。
普通のサイズのはずなのに少女が横たわるベッドがやけに広く見えた。枕に沈んだ頭はあんなに小さかっただろうか。あの少女はあんな儚げな存在だっただろうか。
「…………」
どれほど白レンを見つめていたか、K´の背がドアから離れた。一歩踏み出し、それからもう一歩、二歩、足音を忍ばせつつ急かされたように早足にベッドへと近づいていく。
視線を一瞬も白く小さな少女から逸らすことなく。
ベッドの傍らまで来て、ぴたりとK´は足を止めた。
静まった部屋に微かに息づかいの音をK´は聞いた。それに合わせて布団が上下するのも見た。白レンは確かに生きている。ここにいるのは人形などではない。
「……さっさと……」
低い声がK´の唇から洩れた。意外に大きく、かつ余裕の無い自分の声に苛立たしげにK´は眉を寄せる。それでも彼の唇は言葉を続けていた。
「……さっさと起きろ。生きてんならいつまでも寝てんじゃねえ」
K´の言葉に反応は無かった。いつものように顔を真っ赤にして三倍四倍もの憎まれ口を返すことなく、白レンは目を閉じたまま弱い呼吸を緩やかに繰り返している。
「……チッ」
舌打ちしたところで何も変わることなどなく――
「……レディの……枕元で、舌打ちなんて……失礼、よ……」
鮮やかな、赤。
「……っ」
知らず、K´は息を呑む。
白皙の肌には未だ生気乏しく、その声も弱々しい。
けれど、うっすらと開かれたその赤は変わらず鮮やかで。
「何よ、その顔……フフ……K´、貴方……泣いてるの……?」
一週間ぶりに目を覚ました白レンは微笑んだようだった。幽かに口の端が動いただけだったから、本当のところはどうかK´にはわからなかったのだが。
何より、白レンが目を開いた、赤の目がここにいる自分を見ている、それらに驚き動揺しているK´には彼女の表情に気を配る余裕など無かった。
「何、言ってやがる……」
白レンの言葉を否定するので――事実、泣いてはいない――精一杯で、白レンの赤の目に浮かんでいるのが困惑と驚き、そして喜びであることなどK´は気づきもしなかったし、小さく華奢な手が自分の左手に触れたことに気づいたのはその手のぬくもりが伝わってからだった。
「大丈夫」
赤の目が細くなる。やさしく、愛しげに、嬉しげに。
「大丈夫、だから」
繰り返しながら白レンはK´の手を握る。
――……小せぇ……
呆然としたまま頭の片隅でK´は思う。小さく、弱々しいと。
――だが……
この手はあたたかいとも思う。確かにここにいると、少女は、白レンは生きているのだという実感がじわじわと広がっていく。
「……あぁ」
ぼそりとK´は呟き、白レンから視線を逸らした。
手を握らせたまま。
自分の声に混じったもの――安堵――にも気づくことなく。
-Powered by 小説HTMLの小人さん-