七草粥のひみつ
ジェリーフィッシュ快賊団飛空艇の厨房に、楽しげな声と調理の音が響いていた。
「せり、なずな
ごぎょう、はこべら、ほとけのざ
すずな、すずしろ〜♪」
楽しげに繰り返すのは琥珀。ジェリーフィッシュ快賊団の厨房を預かるリープおばさんが年明けの休暇でいないため、琥珀が食事を作りに来ているのである。
というのも、年の瀬から年明けのパーティーやら宴会やら騒ぎやら続きのジョニーの食事事情を聞いてしまったからで。
「偏ったものばっかり食べてちゃ駄目じゃないですか。お正月とはいえお酒も飲み過ぎです」
もう、と指を立てて怒る琥珀に「ならお前さんが作ってくれないか」とジョニーが軽い気持ちで声をかけ、「もちろんです」と琥珀が快諾したのが昨日のこと。
声をかけたあとで「遠野のお嬢さんのスケジュールは大丈夫なのか」と気にしたジョニーであったが、今日の秋葉の当主としての外出には琥珀はついていかなくて良いらしい。
「志貴さんと翡翠ちゃんのご飯は作ってから行きますから、心配ありません」
ですから、とずいと琥珀はしたからジョニーを睨み上げて言ったものだ。
「ジョニーさんにはちゃんとしたものを食べていただきますからね」
なんの問題も無い以上、ジョニーに拒む理由など無かった。
手際よく七種の野草、野菜が刻まれていく。琥珀が作っているのは「七草粥」という料理らしい。その名の通り七種類の野草、野菜を入れた粥とのことだ。
刻んだそれらはオリーブオイルでさっと炒め、続いてリゾット用の米を加えて更に炒めていく。
米がパラパラになったところで白ワインとコンソメスープを注いで蓋をする。
「はい、これであとは炊き上がるのを待って、パルミジャーノチーズを加えたらできあがりですよ」
くるりと振り返って報告する琥珀の目に映ったのは、幾分首を捻るジョニーであった。
「どうしました、ジョニーさん」
「いや、な。“ナナクサガユ”っていうのはジャパニーズの伝統的な飯だろ?
随分こっち風だなと思ったのさ」
「ジョニーさん達にはこういう方がお口に合うかと思いまして。
伝統的に作るとお塩で軽く味をつけるだけですしねえ」
「まあ、粥ってのはどこの国でも基本はそんなもんだろうが……」
特に、“ナナクサガユ”は新年の宴会で疲れた胃を休めるために年明けから七日目に食べるものだとジョニーは聞いている。あっさりとしていて当然だろう。
「味を俺の好みに合わせてくれたのは嬉しいね」
「食べる人の好みを考慮するのは、厨房を預かる者としては当然です」
えっへん、と琥珀は胸を反らして見せた。
「なので七草粥風リゾットにしてみたんですよ。
これに蒸し鶏のサラダを添えますからボリュームもばっちりです。胸肉を使いましたから、ボリューミーでありながらそれなりにヘルシーですしね」
指をぴ、と立てて説明していた琥珀はふとジョニーから視線を逸らす。そしてふふ、と小さく笑みを零した。
「どうした?」
「あ、いえ、そんなにたいしたことではないんです。
ただ、好みに合わせて七草粥をアレンジするということでちょっと思いだしたことがありまして。
きっと今日それを作ってるんだろうなぁと思うと、なんだか微笑ましくなっちゃいました」
「よその男なら、妬いちまうぞ?」
「男の人ではありますが……ジョニーさんが心配されるようなことはありませんよ?」
口元を着物の袖で隠し、いたずらに、しかしその実やわらかで楽しげに琥珀は笑んだ。ジョニーの反応が面白いと、そして、嬉しいとその笑みが語っている。
――イイ顔だ。
妬くことはないと言われてもよその男絡みなのは気になるが、琥珀のこの顔が見られたのだからまあ良いか、と口の端をジョニーは釣り上げる。
「で、どういう話だ」
“ナナクサガユ”ができるまでの暇つぶしと水を向ける。
「あ、はい、少し前の……十二月の頭頃でしたでしょうか……」
――……どんな難題かと思いましたが……
口元をそっと袖で隠して琥珀は零れかけた笑みを隠す。
視線の先には、憮然と眉間にしわを寄せた白い洋装の男――嘉神慎之介。
不本意だ、やむを得ない、仕方がない、必要なことだからという雰囲気をなんの遠慮もなく漂わせている嘉神は、今日は珍しいことに琥珀の元を訪れている。
通常、嘉神が遠野の屋敷を訪れる理由は大きく分けて二つ。
一つは地域の管理者であり、鬼と人の混血である遠野家当主、秋葉に用があるとき。
もう一つは遠野家に遊びに来たレンを迎えに来るとき。
この二つの理由以外はほぼない。故に、几帳面に訪問のアポイントメントを取った嘉神の目的が自分だと知った琥珀は、それから秋葉も驚いたものである。
秋葉など「琥珀、貴女、嘉神さんに何かしたのではないでしょうね」と真顔で問うほどであった。琥珀としては心外であるし心当たりは――とりあえずは――ないが、秋葉が問う理由はわからなくもない。琥珀は自分の言動が何を起こすのかぐらい十二分に把握――いや、言動には何かを起こすための意図をちゃんと持たせているのだから。
そういうわけで、嘉神がなんのために自分に会いに来たのかとかなり身構えていた琥珀であった――が、難儀そうに口を開いた嘉神の問いは実に拍子抜けするものであった。
「……レンでも食べやすい七草粥の作り方を知らないか」
曰く、昨年の正月七日に七草粥を出したところ、全部食べはしたもののレンはあまり美味しそうに食べていなかったという。素朴な作りの粥は子供の味覚であるレンには合わなかったのだろうと嘉神は考えた。七草粥は正月七日――人日の節句に付きものの料理であるため、来年も当然出すつもりなのだがうまいと思っていない物を食べさせるのは良くはない。故に、粥の方をどうにかしたい――嘉神が琥珀に説明したのはそういうことであった。
拍子抜けたまま話を聞いて琥珀は理解する。
憮然とした顔も眉間に寄せたしわも、不本意だ、やむを得ない、仕方がない、必要なことだからといういかにも渋々とした雰囲気も、全ては単なる嘉神の照れ隠しだということを。
――いえ、おそらくは照れ隠しという自覚もお持ちではないのでしょうね……自分らしくないと少し苛立っているぐらいと見ましたが。
そんな思いと笑みを袖で隠して、「そうですね」と琥珀は頷いた。
「たぶん、お教えできると思います」
「そうか……」
助かる、と呟いた嘉神の顔は、琥珀が初めて見る安堵の表情であった。
「へえ、あのお堅そうな守護神様がねえ」
「嘉神さん、レンさんを大事にされているんだなあと改めて思いましたよ。年の瀬で忙しくなる前に聞きに来られたくらいですし」」
微笑ましげに琥珀は口元をほころばせる。
「で、どんなアレンジを教えたんだ」
「嘉神さんの家では伝統的なお塩だけで味をつけたお粥でしたので、昆布のお出汁で炊くこと、豆乳を加えることをお勧めしました。
お塩だけでもお粥は美味しいんですけど、ちょっとシンプルですからね。お出汁で味に深みをつけて、豆乳でまろやかさと風味を加えるといいかなと。昆布出汁と豆乳なら嘉神さんも抵抗無く食べられるでしょうし」
「なるほどなあ」
頷きつつも、自分にはまだあっさり過ぎるなと思うジョニーである。国や時代で食事事情は様々であり、琥珀のアドバイスもそれを踏まえてのものなのだろうと推測はつくのだが。
「翌年、一月の半ば過ぎにお礼状が届きましたから、レンさんにも美味しく食べていただけたようです」
その後遠野家に遊びに来たレンが言うことには――琥珀も喋らないレンの言わんとすることがわかる一人だ――嘉神も琥珀アドバイスの七草粥が気に入ったらしい。その年以来毎年、嘉神邸の七草粥は昆布出汁で豆乳入りになったそうだ。
「さすが琥珀だな」
「感心するのはまだ早いですよ、ジョニーさん」
そう言って、先のように、しかし今度は逆にくるりと琥珀はジョニーに背を向け、鍋の蓋を取った。
白い湯気に美味しそうなにおいが混じってふわりと厨房に広がる。
「感心するのは、琥珀特製七草粥風リゾットあーんど蒸し鶏のサラダを食べてからにしてくださいね」
「ごもっとも」
琥珀の手料理は何度も食べたことがあるが、きっと今日も感心あーんど感嘆することになるのだろうと確かな予感を覚えつつ頷くジョニーは、自らの腹が待ち遠しいと小さく鳴いたのを聞いた。
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