それはささやかな、あたたかいしあわせ〜ひるのつき

 やわらかでまぶしい黄色が地にいっぱいに広がっている。それは今が盛りと咲き乱れる菜の花の群。
 果てがないのではないのか、などと己でもばかばかしいと思うことを御名方守矢はふと思う。
 青く晴れ渡った雲一つない空には日輪が輝く。強すぎもせず弱すぎもしない日差しはうらうらと心地よい。
 どこか遠くから聞こえてくるのは、雲雀がさえずる声だろう。文句のつけようのないのどかな世界、のどかな時がここにある。
 いや、ただ一つ。
 のどかな風景の疵が、天にあった。
 薄く掠れた、半分の月。
 天の青に呑まれ消え失せそうでいて消えきることのできない、白い月。 あるべき場所を見誤り、天の青に月は虚しく立ち尽くす。

――やめるつき。

 なぜそんな言葉が浮かんだか守矢自身にもわからない。
 だがひとたびそう思ってしまうと不思議と腑に落ちた。
 あるべき場所もあるべき時も見誤り、あるべきでない場所、あるべきでない時に立ち尽くすのは病んだが故と。
――あわれなものだ。
 哀れんだところで月には届かない、何の意味もない。故にそれは人の身勝手と知りつつも、守矢はそう思う。

「守矢」

 かけられた声に、守矢は天から地へと視線を動かした。
 黄色い花の群の中、いつ来たのか少女が一人守矢の傍らにいた。奇妙な縁の下、守矢と行く道を重ねた少女の名は、川澄舞という。
「月、見てたの」
「あぁ」
 舞は月を見上げる。
「……寂しそう」
 しばし月を見つめた後、ぽつと舞は言った。
 そう見る者もあるだろうと守矢は思う。あの月は一人なのだから。
「でも大丈夫」
「なに?」
 続いた言葉に守矢は舞を見た。
 舞も月ではなく、守矢を見ている。
「夜は必ず月を迎えにくるから」
 守矢を見つめ、いつもとなにも変わらない口調で舞は言う。
「月は待っていればいいの」
「……そうか」
「うん」
 こっくりと舞は頷く。
 守矢は再び天を、掠れた月を仰いだ。
 夜が来れば、やめるつきにも命が吹き込まれる。
 その時月はやわらかな光でいちめんの黄の花を照らすだろう。
「だから、大丈夫」
 舞もまた月を見上げ、繰り返す。
「あぁ、そうだな」
 守矢は頷いた。
 どこか、心安らいだ思いで。

 青い空にある白い月の下、一面に広がる菜の花の群れがゆらりと揺れた。
 頷いたかのように、何かを招くかのように。
 

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