狼と踊れ

 時計の針は夜の10時を過ぎた。
 あくびを一つして、ルゥは時計からつけっぱなしのテレビへと目を向ける。
――遅いなぁ……
 今日はテリーもロックも大会だ用事だと出かけている。夕食もルゥ一人。ロックがちゃんと用意しておいてくれたオムライス(タマネギ抜き)を、この間使い方を覚えたばかりのレンジで温めて食べた。ロックが作ったものだから、とってもおいしかったのだけれども――
――ひとりより、みんながいいのに。
 テレビで流れるアニメの映画を眺めながらルゥは今度は溜息を一つ。王子様やお姫様、魔法使いにドラゴンが出てくるアニメ自体は結構面白いのだけれども、一人で見るとなんだか物足りない。テリーが一緒だとアニメの話にあれやこれや茶々入れしてうるさいし、ロックは子供っぽいのには興味ないなんて言うけれど、やっぱり二人がいる方が良いなとルゥは思う。
――もう寝ちゃおうかな。
 寝て起きれば、二人とも帰ってきているだろう。じゃあテレビを消してしまおうとリモコンにルゥが手を伸ばした時。
「ヘイ、アーイム、ホーム!」
 朗らかな声が先だったのか、ドアが勢いよく開いたのが先だったのか。同時にルゥの鼻に届く、よく知ったにおい。
――テリー!
 けれどすぐに、むーっとルゥは眉を寄せた。
――お酒のにおい……飲んでる……
 酒のにおいはルゥは苦手だ。
「ルーゥー、留守番サンキュー!」
 そんなルゥの様子に全く気づいていないらしいテリーはひょいとルゥを抱き上げた。かなり機嫌が良い。何か良いことあったのかなと、酒気を帯びた息が顔に当たらないように気をつけながら、ルゥはテリーの顔をじっと見る。
「はっはぁ、アニメ見てたのか。ふーん、王子に姫か。狼はいないんだな」
 テリーはテレビの方を見ている。今流れているのは王子や王女が城でダンスパーティをしているシーンだ。
「狼はお城にはいないわ。入れてもらえないもの」
「いやぁ、わからないぞ、魂が狼な騎士が一人ぐらいはいるかもしれない」
「テリーのような?」
「俺は騎士みたいな堅苦しいことはできないな」
「でも、テリーならきっと素敵な騎士になれると思うの」
 ルゥは本気でそう思っていた。強くてかっこよくて優しいテリーなら、アニメに出てくるどんな騎士よりも素敵な騎士になると。
「そうかー、そりゃ、嬉しいな」
 にこっと、その年に関わらず少年のようにテリーは笑った。そっとルゥを下ろすと恭しくお辞儀を一つ。
「踊ろうぜ!」
「……えっ?」
 きょとん、とルゥが小首を傾げる間もあればこそ、テリーはルゥの両の手を取って踊り始めた。といってもアニメで踊る王子や姫、騎士達のような優雅なものとはほど遠い。ステップもでたらめで、どたどた足を踏みならすだけのめちゃくちゃなものだ。
「て、てりー?」
「はははは、ルゥ、俺が騎士ならルゥはお姫様だな! ほら、ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー!」
 困惑するルゥをよそに、テリーは何やらダンスの説明らしきものをし始めるが、全く以て何の説明にもなってないということには気づいていない。どころか、ダンス以前にルゥを振り回している状態なことに気づいていない。
 つまり、酔っている。
――何か悪いことがあったわけじゃないみたいだけど……
 テリーはとても楽しそうだから、きっと良いことで酔っているのだろう、とルゥは思う。それなら、今のこの状況も良いに違いない。
 きゅっ、とルゥはテリーの手を握り返した。足がいったん床についた機を逃さず、とん、とん、と自分から見よう見まねでステップを踏む。
「お、良いな、巧いぞルゥ!」
「うん、もっと踊ろう、テリー!」
「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー!」
「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー!」
 アニメではとっくにダンスのシーンは終わっていたのだけれども、二人はそれには気づかず踊り続ける――

「……何やってんだ、二人とも……」
 帰ってきたロックは、目前の光景に呆れた声を上げるしかできなかった。
 いい年をした大人と、幼い少女が楽しげに笑いながら手を取り合って、たぶんおそらくきっと、踊っている。その際にゴミ箱やらテーブルやらを蹴り飛ばしたらしく、部屋の中はそれなりにひどい状況だ。
「おう、ロック、おかえり!」
「おかえりなさい、ロック!」
 二人してくるくる回りながら近づいてくる。
――……やばい。
 根拠も何もなく、ロックは覚えた嫌な予感に後ずさる。あの二人の楽しげな様子は、良くない。というかろくでもない。
 しかし一瞬、遅かった。
「ロック、お前も踊ろうぜ!」
「ロック、踊ろう!」
 ぱっ、とテリーは左手を、ルゥは右の手を離す。ふわりと二人の体が大きく開き――
 一つは、がしっと。
 一つは、きゅっと。
 ロックの両の手をそれぞれ握る。
「ちょ、まっ」
 ロックの制止も抵抗も無視以前に成立すら許されず。
「ほーら、ぐるぐるー」
「ぐるぐるー」
 テリーとルゥが勢いよく回り出す。抗えば三人揃ってひっくり返るのが明らかなだけに、渋々ロックも回るしかない。
 それに。
「ハハハハ、ダンスは良いなぁ!」
「楽しいね、ロック!」
 二人はとても楽しそうなものだから、部屋の惨状は気になりつつもここでやめろとはロックも言うに言えない。
――ああもう、片付けはしっかりやってもらうからな!
 胸の内だけでそう叫び、ロックも二人の動きに合わせて回ったのだった。


「あー、ルゥ、もうちょい上、うん、その辺その辺……ひゃぁっ」
 びくりと身を震わせ、テリーが悲鳴を上げた。
「だ、大丈夫!?」
 慌ててルゥはテリーの顔をのぞき込む。
「お、オーケーオーケー、湿布がひやってきただけだ。サンキュ、ルゥ」
 あはは、と力なく笑ってぽむぽむとテリーはルゥの頭を撫でた。
 それから、ソファの背に掛けてあったシャツを着る。その腰にも湿布がぺったりと貼られていたのがシャツに隠れる前に見えた。
 湿布を貼ったのは実は腰だけではない。テリーの両足の太ももやふくらはぎにも湿布が貼り付けられている。
「ほんとに?」
 撫でられて嬉しそうな顔をしたものの、すぐに数歩テリーから離れつつ――湿布の刺激臭もルゥには辛い――ルゥは問うた。
「あぁ、ずいぶん楽になった」
「足の筋肉痛に腰痛って、格闘家なのに情けないぜ」
 朝食のトーストの上にハムエッグを乗せつつ、冷ややかな眼をロックがテリーに投げた。
「格闘とダンスじゃ体の使い方が違うんだよ」
「俺もルゥも平気なんだけど?」
「…………」
 テリーは遠い目で天井を見上げた。
「……年かなー」
 諦めに満ちた声で呟き、乾いた笑いを漏らす。自分の年を隠すつもりも拒むつもりもないが、自覚させられるのは時にくるものがある。
「て、テリーはまだまだ若いよ! 痛くなったのはほら、私が小さいからテリーが踊りにくかったから」
 二人で踊っていた時、小さなルゥに合わせてテリーが少し中腰になっていたのをルゥはちゃんと見ていた。あれは結構キツかったはずだ。
「うぅ、サンキュな、ルゥ」
「ルゥ、テリーを甘やかしちゃ駄目だぞ。全く、結局先にテリーは寝て片付けは俺とルゥがしたんだし」
 とん、とロックはテリーのカップをテーブルに置く。たっぷりと注がれているのは濃いブラックコーヒー。ロック自身のカップにはカフェオレ、ルゥのカップにはミルクが入っている。
「テリー、今日はその分しっかり働いてもらうからな。試合もないんだから」
「年長者はもっと大事にだな……」
「大事にされたけりゃ、相応の行動で示してくれよ」
 テリーはがっくりと肩を落としたが、ロックはまるで取り合わない。
「はい、朝飯できたぞ」
「……はーい……」
「はいっ」
 ロックの声にテリーもルゥもテーブルに着く。テリーはがっくりとしたままだ。
 そんなテリーにクスリとロックが笑うのをルゥは見た。
――やっぱりロック、そんなには怒ってない。
 ほっとした気持ちでルゥは思う。ルゥは覚えている。今は厳しいことを言っているロックだが、三人で踊っている時は結構楽しそうだったのだ。テリーの気が済んで――というか疲れて――ダンスが終わったあとの滅茶苦茶になった部屋を見た時には不機嫌になっていたけれど。
 でも、踊っている時のロックは楽しそうだった。苦笑交じりだけれど、ちゃんと笑ってもいた。
 それがルゥには嬉しかった。テリーとロックと、大好きな二人といっぱい楽しいことができて。
 だから、今日はいっぱい二人を手伝おうとルゥは思いながら、ミルクのカップに口をつけた。
 

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