かわいいもの

 その日、伊吹萃香は朝倉鉄兵の家にて奇妙なものを見つけた。
 それは赤くてひらひらの、小さなもの。
 朝倉鉄兵の家をふよふよと漂う、幼子の姿をしたもの。
 もっとも、奇妙といってもこの幼子自体は萃香からしてみればさして不思議なものではない。ただ、朝倉鉄兵にはいささか不似合いに思えたのである。
「てっぺー、こういうの好きだったのか?」
 しげしげと眺めながら、杯を傾ける。家主である鉄兵は留守であるが、何度かこの家には訪れたことはあるし萃香と鉄兵は友人である。遠慮をする理由はない。
「……?」
 向けられる視線に、きょとん、と幼子は首を傾げる。
 初めて会う、つまり幼子には見知らぬ存在である萃香が鉄兵が留守なのに上がり込んでいるというのに、幼子が恐れを抱いた様子はない。
 無垢に、不思議そうに幼子は萃香を見つめ返す。
「こういうものはこの辺にはまだいるんだねえ……」
 呟いて、萃香は杯に顔を寄せてきた幼子を軽く――珍しく注意を払い、髪の毛一本払う程度の力で――払った。
 鬼は知っているのだ。この幼子がどれほどか弱い存在なのかを。

「なんや、萃香来とったんか」
 鉄兵が戻ってきたのは、萃香が訪れてから三十分ほど経ってのこと。
「お邪魔してるよー。てっぺー、つまみなーいー?」
「悪ぃ、切らしとる。来るっち言ってくれとったら、用意しとったんやけど」
 言いながら、鉄兵は手にしていた紙袋を部屋のちゃぶ台の上に置いた。
「突然来て脅かそうと思ってたんだよう……それ、何?」
「寄り合いでもらった。土産やと」
 紙袋から鉄兵が取り出したのは、白い饅頭のような菓子だった。
「かるかん饅頭ち言いよった。小餅、食べるか?」
 ビニールの包みを取って鉄兵が差し出せば、ずっとふよふよ浮いたままだった幼子は、すいと鉄兵に近づいた。差し出してきた小さな両の手に鉄兵は饅頭を渡してやる。
 受け取った幼子はすぐにあむっと饅頭にかぶりついた。
「小餅って言うんだ、その子」
「あぁ」
 頷いた鉄兵の目尻が下がっている。
「てっぺー、かわいいものが好きなんだねえ」
「特に好いとーっちゆうわけやないが、かわいかもんはかわいか。
 萃香はかわいかもんは好かんか?」
 萃香は、饅頭をほおばっている小餅を眺めながら杯を干した。空になった杯に新たな酒を注ぐ。
「あたしも好きだよ。でも、側には置かないね」
「……なして?」
 一呼吸、鉄兵の問いかけの言葉の前に間ができていた。
 満たされる杯に視線を向けている萃香の横顔に、何か、感じるものがあった。
 萃香の唇が、動く。

 カワイイモノハ小サクテ、弱クテ、スグ儚クナル。

 そんな風に聞こえた気がした。
 聞こえた言葉の意味は、鉄兵には図りかねた。「強い」存在である鬼の正直な感想であるだけなのか、嘆き、蔑み、諦め――いずれかの、あるいはいくつかの、全ての想いがあるのか。鉄兵には、図りかねた。
 故に。
「側に置くも置かんも、袖すり合うも多生の縁、ってだけんこつ」
 己の想いを正直に鉄兵は口にした。
 もぐもぐと饅頭を食べている小餅の口元を、手拭いで拭ってやる。
「小餅はオイラのとこ来よると。やけん、面倒見る。それだけのことばい」
 そこに複雑な考えはない。小さなかわいいものが自分の元へ迷い込んできた。かわいいものには面倒を見る者が必要で、それだけの余裕が自分にはある。だから自分がする。かわいいから愛でるのはその行為に付随した感情だ。それ以上も、それ以下もない。
「いきなり遊びに来るどこかの鬼につまみば出すのと同じだ」
「そっか」
「そうだ」
 萃香は、ぐいと杯を干した。
「じゃあ、てっぺー、つまみー。切らすなんてダメじゃないか」
 にかっと笑って鉄兵を見る。
「いつ来るかわからん相手に切らさず置いておくんは難しいわ」
 そう言いながらも、鉄兵は立ち上がった。
「ちょっと待ってろ。今なんか作る」
「肉が良いなっ」
「贅沢ゆうな」
 苦笑しつつ、鉄兵は台所へと向かった。

 小餅は、萃香と鉄兵の話などまるで聞いていない様子で、幸せそうにあむあむと饅頭を食べていた。
 

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