風柳堂奇譚

〜小さなお茶会の巻〜

 妖精が、飛ぶ。
 青く澄んだ、少なくとも50km四方には雲がない空を妖精が飛ぶ。
 だがその妖精はおとぎ話で描かれるかわいらしいものとはあまりにも異なっていた。
 なにせ、彼女――透き通らんばかりの白い長い髪を風になびかせ、漆黒のワンピースとコートまとった可憐な顔立ちの少女――の飛行速度は時速200kmは軽く越えていた。眼差しに強い意志を宿して飛翔する少女の様だけを指して言うなら、妖精と言うよりも戦闘機だ。
 少女は魔道と科学の粋を極めた体に、人の魂を宿した存在。名を、ゼルニース・エックゼイール・エールレイヤーという。
 ゼルニースは己の機能を駆使し、空を行く。
 その目的は――仕事、であった。
 ゼルニースは依頼解決カフェ『Carpe diem』を営んでいる。受ける依頼の幅は広く、とりあえずの基準は「殺し以外はなんでも」だ。もっとも、その機能、実力はともかくとして外見が可憐な少女であるため、ゼルニースの元へ持ち込まれる依頼はおおむね平穏でさほど難しいものはない。あくまでもこの「MUGEN界」の基準で、ではあるが。
――今日の依頼はあと……一件ですわね。
 通信回路を開いてカフェのデータベースにアクセスし、依頼を確認する。今日最後の依頼は荷物の配送だ。
――荷物の回収……その際、魔術的梱包も私が? ……なるほど、依頼人兼受取人が彼女ということはそういうものですのね。
 納得したゼルニースは時間を確認した。現在、午後2時。送り主の元で荷物を梱包する時間、それからちょっとした寄り道の時間を含めて、受取人の元に到着する時刻は午後3時頃か。
――丁度いいですわ。
 小さく微笑んでゼルニースは自らの飛翔機能に加速を命じた。


 風柳堂、という骨董店がある。
 とあるMUGEN界のとある街のとある通り。その一角にある店の主は緩やかに編んだ灰白色の髪をその眼と同じ紫のリボンで飾り、赤いコートに身を包んだ見た目は十歳ほどの少女。しかしその見た目に似合わぬ、気怠げで超然とした雰囲気を宿している。名は、煉といった。
 さてその煉であるが、普段は客の少ない骨董店であることをいいことにのんびりと怠惰な時間を貪っている。
 それが変わるのは仕入れに行く時と、珍しく客が来た時、そして――

 壁掛け時計の針は午後2時55分を指している。
 それを確認し、煉はぷかりと白い煙を吐いてパイプをパイプ台へと置いた。
「いぬさくや」
「はい、煉しゃま」
 少女の声に応え、部屋の奥からてちてちとメイド姿の小さな小さな少女――犬と少女を掛け合わせたように見える――が駆けてきた。この少女、いぬさくやは風柳堂で住み込みで働いている。
「紅茶を用意してくれないか。二人分。茶菓子はいらない」
「承知致しましたでしゅ」
 ぺこりと一つ頭を下げ、てちてちといぬさくやは奥へと戻っていく。
 同時に、ドアベルがからんからんと鳴った。
「よろしいかしら、『Carpe diem』ですわ。お届け物をお持ち致しましたわ」
 開いたドアから優雅な足取りで入ってきたのはゼルニース。その手に携えている二つの箱の内一つを煉に差し出した。
「確かに」
「受取証ですわ。荷物を確認の上、サインをお願いしますわ」
「うん」
 受け取った小包を煉は改める。宛名、送り主共に問題ない。魔術梱包も完璧だ。
「梱包の解除ワードは何かな」
「封印の術式、手順も含めてこちらに記してありますわ」
「ありがとう、助かるよ」
 古風な封蝋で封印された封筒をゼルニースから受け取り、代わりに煉はサインした受取証を手渡した。
「はい、確かに受け取りましたわ」
 サインの内容を確認してゼルニースが受取証をしまう。それが合図だったかのように盆を手にしたいぬさくやが戻ってきた。盆の上には二脚のティーカップと、コジーをかぶせたポットが一つ。
「煉しゃま、紅茶のご用意できましたでしゅ」
「あぁ、ありがとう」
「あら、丁度よかったですわ。私が作ったものですが、お茶菓子にどうぞ」
 煉がいぬさくやを手伝ってテーブルに並べたティーカップとポットの横に、ゼルニースはもう一つの箱を置く。ここに来る前、一端『Carpe diem』に立ち寄って持ってきたものだ。
「今日は人参を使ったシフォンケーキにしてみましたの」
「わぁ、ありがとうございま……」
 目を輝かせて声を上げたのはいぬさくやだ。が、言葉を言い終えるより先に我に返って自分の立場を思い出したのか、慌てて口をつぐんでずりずりっと後退る。
「いぬさくや、切り分けてきてくれるかい。それで君も頂くといい」
「は、はい! ありがとうございます、煉しゃま、ゼルニースしゃま」
 クスリと笑った煉が箱を手渡すと、耳をぴんと立て、尻尾をぱたぱたとさせながらいぬさくやは何度も頷いた。
「いつもすまないね。君のお菓子をうちの者達はとても楽しみにしていてね」
「いいえ、こちらこそ美味しい紅茶をいつも楽しませてもらっていますわ」
 てちてちと軽やかな足取りで下がっていくいぬさくやを見やり、ゼルニースは微笑んだ。
「私も紅茶を淹れることには自信があるのですけれど、いぬさくやさんの淹れる紅茶の味わいも格別だと思いますわ」
「あぁ、いぬさくやの紅茶は美味しいね」
 おかげですっかり紅茶党だよ、と冗談めかして言いながら、煉はゼルニースに座るよう促した。自分は座る前にポットからコジーを取り、二つのカップに紅茶を注いでいく。
 煉とゼルニース、こうして二人がお茶を共にするのは珍しいことではない。
 煉は骨董店を商っている仕事柄、運送業との関わりが深い。名高いルガール運送もよく使っているが、曰く付きのもの――なんらかの魔術、時に呪いのかかっているもの――を扱う際にはその知識や技術に優れているゼルニースに頼むことが多い。そんな仕事上の付き合いからお茶をご馳走することがあり、その内にゼルニースがカフェで出しているケーキなどの菓子を持ってくるようになり――いつしか、骨董店の片隅でのお茶会は回を重ねるようになっていた。
「今回のことは君に任せきりにしてしまったけれど、問題はなかったかな」
 シフォンケーキに舌鼓を打ちながら煉は問う。
「ええ、貴女が話を通しておいてくださいましたから。梱包自体は難しい術ではありませんでしたしね」
 答えるゼルニースは紅茶に口をつけている。
「ただ、あれは早急に処分した方がよいと思いますわ」
「だろうね。その手はずもだいたい済んでいるよ」
「さすがですわね。差し出がましいことを申しましたわ」
「いや、気にかけてくれるのは素直に嬉しいよ。あれがどういったものかの意見をもらえるのも助かるしね」
 言って、煉も紅茶に口をつけた。ちなみに煉の紅茶はブランデーを少々垂らしてある。
「フフ、きめ細やかな気遣いを心がけるのは、こういったお仕事では当然のことですわ」
 それに、とゼルニースは手を一度膝の上に置いて言葉を続けた。
「お友達のことを気遣うのも、当然のことと思っていますもの」
「まったくだ。だから、君もああいうものに対処するときは十分気をつけてくれたまえ。
 依頼をする側の者が言うのもなんだとは思うがね」
「ありがとうございます、煉。
 でも大丈夫ですわ。商売は自分の身の丈に合わせて、ですもの」
 にこりとゼルニースは微笑む。自分自身への自信と煉への感謝を表すその笑みに、煉も口元を綻ばせる。
「それは一番大事な心得だ。あと付け加えるならば……」
「なんですの?」
 改めてフォークを手にしたゼルニースは小首を傾げる。
「いつもニコニコ現金払い、これも商売において大事なことだよ」
「先日も言いましたけど」
 眉を寄せて――しかしシフォンケーキを口にした時だけ満足げに目を細めて――ゼルニースは言う。
「煉、現金取引も大事ですけれど電子マネーでの取引はもはや常識ですのよ? 現金取引にこだわっていますと商機を逃しますわよ」
「わかっているよ。だがうちの仕事柄、現金取引の方がよい点が多くてね。まあ、おいおいやっていくさ」
「この間もそう言っていましたけど」
 斜めジト目をゼルニースはレンに向けたが、レンは「おや、そうだったかな」とどこ吹く風だ。
「……貴女の努力に期待することにしますわ」
 ふう、と溜息をつくが言動ほどゼルニースは呆れているわけではないし、気分を害してもいない。煉の流儀は理解しているし尊重もしている。ただ少しだけ、こちらに合わせてくれると楽になるところもあるのに、と思うだけだ。
 それを煉の方も察しているからゼルニースの言葉をただスルーするのではなく、とりあえず前向きな姿勢を見せている。「おいおい」がいつになるかは煉自身にも不明ではあるが。
「それにしても今日のケーキも美味しいね」
「お口にあってなによりですわ。貴女が美味しいと言ってくれるなら、店に出しても問題ないでしょうし」
「おや、味見係にされたかな」
「それだけ貴女の舌を信頼しているということですわ」
「これはこれは、光栄な評価だね。では、これからも楽しみにしようかな」
「期待には応えましょう。でも、店の方にもたまには来て欲しいですわ。私の紅茶も飲んで頂きたいですもの」
「ブランデーを入れても構わないかな」
「茶葉を選んでおきますわ。でも最初はどうぞお酒は抜きで」
「それもそうだ。では近いうちに」
「お待ちしていますわ」
 にっこりと、二人の少女は笑みを交わした。

「これで失礼しますわ。お茶、ごちそうさまでした」
 立ち上がると、スカートをちょんとつまんでゼルニースは優雅にお辞儀して見せた。
「こちらこそ、美味しいケーキをありがとう」
「ではまた、『Carpe diem』へのご依頼をお待ちしていますわ」
「あぁ、また頼むよ」
 頷く煉にもう一つお辞儀すると、ゼルニースはふわりと髪をなびかせ、店を後にした。
 からんからん、とドアベルが鳴る。
 鳴り終わった後に残ったのは静寂と、紅茶の微かな残り香。
 ささやかな楽しいときの、残滓。
         〜小さなお茶会の巻〜・終
 

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