風柳堂奇譚

〜紫煙の巻〜

 とあるMUGEN界のとある街のとある通り。その一角にある骨董店「風柳堂」。
 店主の名は煉。見たところは十歳ほどの少女であるが、MUGEN界では見た通りの人物でないことの方が常識。
 さて、その煉であるが、普段は客の少ない骨董店であることをいいことにのんびりと怠惰な時間を貪っている。
 それが変わるのは仕入れに行く時と、珍しく客が来た時、そして――

 カランカランカランと賑やかなドアのベルが賑やかに鳴るのと同時に、カラコロカロコロと下駄を勢いよく鳴らして一人の男が店に飛び込んできた。
「煉ちゃん悪ぃ、かくまってくれ!」
「今日はなんだい便利屋。
 借金か女か身内の不幸か」
 愛用の煙草「インフィニティ」をくゆらせながら冷静、というより冷淡に問う煉に構わず、便利屋――天野漂は店内を見回した。
「敢えて言うなら酒だな」
「酒?」
「詳しいことは後だ、今はかくまってくれ」
 隠れる場所を探してか、せわしなく漂は店内を見回し、更に後ろを顧みる。外からは特に音は聞こえないが、漂の様子からして追手はこの店を認識しているのだろう。
「やれやれ、仕方のない人だ」
 一つ煙を吐くと煉は顎をしゃくった。
 煉が示す先には、テーブルが一つ。そして先日の件以降、この骨董店の住み込み店員、わかりやすくいえば居候になったいぬさくやと上海――口癖からそう命名された――が漂を手招きしている。
「漂しゃん、こっちでしゅ」
「シャンハーイ」
「お、おう」
 二人に示されるままに漂はテーブルの下に潜り込んだ。
 全く同じタイミングでからんからんとドアのベルが鳴り、ほっそりとした影が風柳堂に入ってきた。
 細身の体にぴったりとフィットした黒い服を身につけた、端整な顔立ちの――女性。一見すると男性の様でもあるが、その体型はスレンダーながらもよく見れば間違いなく女性の体つきだ。
「おや、結蘭」
 追手は君か、という言葉はさすがに煉は飲み込んだ。
 彼女は結蘭。煉もたまに飲みに行くことのあるバー「風の魚」のバーテンダーである。
「煉、ここに漂が来ただろう! どこに行った!?」
「あぁ、漂なら……」
 すっと煉はテーブルの方に目を向ける。
「そうか。すまないな!」
 そう言って結蘭はテーブル……の横を駆け抜け、裏口から出て行った。
「……私は嘘は言ってない」
 裏口のドアが閉まる音を聞きながら、煉はぽつりと呟いて短くなった煙草を灰皿でもみ消す。
「いやぁ、助かったぜ。
 このテーブルの下があんな風になってるなんてな。いい隠れ場所じゃねえか」
 テーブルの下から這い出してきた漂は、ぱたぱたと膝を払う。
「骨董店をやってると、色々あってね」
「ほう、どんなだい」
「……強敵と書いて友と読む様な人が来るとか」
 遠い目で呟きつつ煉は新しい煙草を咥え、火をつける。
「煉ちゃん、変わった奴らとつきあってるなぁ」
「君に言われたくないものだ。ところで、結蘭に何をした?」
 煉の知る結蘭は、気が長いとは言えないがあれほど怒っているのは珍しい。
「あぁ、ちょっとな。
 俺も一服していいかい」
「どうぞ」
 煉が頷くと漂は腰の煙草入れから刻み煙草を取り出し、小さく丸め始めた。
「結蘭の姉さん……いや、兄さんの結蓮から仕事を受けてな。無事仕事は終わってその報酬に……」
 丸めた煙草を火皿に詰める。
「酒もどうぞって言われてな。それでイイ酒を頂戴したんだが、そいつがよ」
 にやっと笑って漂は煙管を加えた。詰めた煙草にマッチの火を近づけながら軽くすぱすぱと息を吹く。
「ん……ぷはぁ……、結蘭のとっときだったらしくてなぁ。それでちょいと追っかけられる羽目になっちまったわけよ」
「それは……どちらもご愁傷様だね」
「あの蹴りさえなけりゃ、結蘭もイイ女なんだがね」
「そんなことを結蘭が聞いたら、ますます怒るぞ」
「あぁ、だから怒ってる」
「人をからかうのは、ほどほどにしておいた方がいいと思うよ」
「へへっ、まあまあ」
 くるりと煙管を回すと、漂は素早くいぬさくやが差し出した灰皿に灰を落とした。
「ありがとよ、いぬさくやちゃん」
 また煙草入れから煙草を取り出すと丸め始める漂に、いぬさくやは恭しくお辞儀をして見せた。
「カンペキで瀟洒なメイドとしては当たり前のことでしゅ」
「あぁそうだ、漂、君は煙管派のようだが、やはり煙管の味わいの方が好みかい?」
 とんとん、と煉も灰皿に灰を落としながら言う。
「ん、そうだなぁ。紙巻はあまり試しちゃいないが」
 すぱ、と煙を吐いて漂は煉の煙草に目をやった。
「俺としちゃ、こっちの方が味がしっかりわかって好きだね」
「ふむ……なるほど」
「どうした? 煉ちゃんは紙巻一筋だと思っていたが」
「何、先日なかなか良い煙管を仕入れてね」
 そう言う煉の元へ、上海が煙管を一つ運んでくる。
「……ほう、確かにそれは良いこしらえだな」
「遠目に見ただけでわかるかい?」
「意外と目が肥えてるんだぜ、俺は。そいつの火皿と吸い口は銀だろう?」
 便利屋の漂の素性を詳しく知る者は街にはいない。便利屋の仕事以外ではふらふらとしている男だが、思いも掛けぬことを知っていたり意外な人物と顔なじみだったりすることもある。
 それ故に実は良家の出身なのではないかという噂もないではないが、漂は答えることはない。
「あぁ、そうだ。羅宇は100年物の竹だそうだ」
「ふうん、そいつはたいしたもんだ。お、凝った細工もしてあるねえ。
 知ってるかい? 銀の吸い口はな、甘いって言うぜ」
「なるほど。君にまずは試してもらおうと思ったが、自分でやってみるとしよう」
「……ありゃ、余計なことを言っちまったか」
 ぺちんと額を叩いて評は言ったが、ニヤリと笑んでいることから本気では悔しがってはいないらしい。
「次に吸わせてあげるよ。悪いが、君の煙草を分けてくれるかい?」
「構わないがよ。煉ちゃん、煙管で吸ったことはあるのかい?」
 煙草入れごと煉に渡しながら漂は問う。
「伊達に年は重ねていないよ。銀製は初めてだがね」
 そう答える煉の年が実際いくつなのかを知る者も、街にはいない。数十年とも数百年とも噂されるが、煉もまた答えない。見た目通りの年ではないことだけは確かであるが、この世界ではそういった者は珍しくない。
 煉は漂に負けず劣らず器用に刻み煙草を指先で丸めると、火皿に詰める。
「結構しっかり丸めるねえ」
「少し辛みがあるぐらいが好きでね」
 吸い口を加えると、煉は指先に火をともして煙草に火をつけた。
「ん……」
 灰や火までを吸い込まない様に軽くすぱすぱとふかしてやる。
 火が落ち着くとゆったりと煙を口内で息と混ぜながら灰まで吸い込む。
「……ふむ、確かに煙草とは違う甘みも……ある様な気がするね……」
 ふうっと長く、煉は煙を吐く。
 と。
 煉が吐いた煙と、煙草から揺らめく煙が入り混じったところがぐるぐると不自然に渦を巻き始めた。
「なんだ?」
「……ふむ……どうやら、これは……」
 怪訝な目で見やる漂とは別に、何か納得した様に煉は呟く。
「何だよ、煉ちゃん」
「この煙管には……」

「ドッゴラァァァァァァッ」

 煉がはっきりと言う前に、煙の中から小さな人の姿が飛び出した。
 上半身裸で筋骨逞しく、茶色い肌、金の髪の男だ。
 ただし体は上海と同じぐらいの大きさしかない。
「この方が封じられていたようだね。どういうまじないかはわからないが、私が吸ったことで解けたらしい」
 私の力の影響かね、と煉が呟く間にも、小さな男は宙を「ボッッゴラァ」とか「ヴァーッハッハッハッハ」とかわめきながら飛び回り、上海がそれを追いかけ回している。
「こらこら上海、そちらの方も、店のものにぶつかるから落ち着いてくれないか」
「シャンハーイ」
「グガアァッ!?」
「……人の言葉はわかる様だな」
 素直に止まったその男と上海に、漂は感心した様に呟いた。
「それで、あなたは何者なのかな?」
「グルジョワッ」
 問う煉に男は答えるが、それは人語を為していない。
「これは困ったね」
 あまり困った風無く、いつもの紙巻きを咥える煉の前にいぬさくやが慎ましく進み出た。
「煉しゃま、よろしければ私が通訳いたしましょうか」
「できるのかい?」
「カンペキで瀟洒なメイドでしゅから、だいたいわかりましゅ」
「では、頼むよ」
「おまかせくだしゃい」
 かくして、いぬさくやの通訳の元、この男の素性はわかった。

 男は元々は天界で暮らしていた火神(アグニ)であるが、地上に降りて悪さを働いていた。しかしある術者によって、煙管に封印されてしまったのである。
 その後煙管はある場所に長らく保管されていたが時の巡りと共に外の世界に流れ出て、煉の店「風柳堂」まで来たのである。
 長い時の末に封印は弱くなり、また力ある火(煉の火)がつけられたことで自分は封印から解放されたのだと火神は語った。

「もっとも、長い長い封印のせいで力は弱ってしまって、こんなに小さな姿しかとれないのだそうでしゅ」
「グルジォ……」
 少ししょんぼりと火神は頷く。
「もう反省したそうなので天界に帰りたいそうでしゅ。でも帰るだけの力がないそうでしゅ」
「自業自得とは言え、ちょいと気の毒なもんだな」
 また煙管に煙草を詰めながら漂が言うと、勢いよく「グワァッ、ゴワァッ」と吼えて火神は漂に殴りかかった。といっても小さいので軽く漂に受け止められているのだが。
「落ちぶれても人風情に同情されるいわれはない、そうでしゅ」
「けどよ、帰りたいのに帰れないってのは、やっぱり同情するぜ」
 ぽかぽかと殴り続ける火神の攻撃を片手であしらいつつ言う漂の目は意外にも真摯であり、声の響きには奇妙な実感があった。
「身に覚えがあるかい?」
「借金取りが恐くて家に帰れない経験上、かね」
 煉の問いに漂はニッと笑う。
「……なるほど」
 ふうっと天井に煙を吐いて煉は小さく頷く。
 行き場のない、力を無くした哀れな神。
 確かに自業自得ではあるが、漂と同じく煉も火神に同情の念を感じていた。

――異種の中に在るのは……決して楽ではない……

 それは力があっても、無くても。
「どうにかできるあてもないのかい?」
 漂への攻撃を続けている――漂に軽くあしらわれては煙草の煙を吹き付けられている――火神に煉は問う。
「ジョラジョアラァ!」
「封印から解かれたときのように、力ある火を受ければ何とか天界までは帰れるかもしれない、そうでしゅ」
「天界は遠そうだがねえ」
「ボッゴォラァ!」
「力ある火を呼び水にして、力を振り絞る、そうでしゅ。神なめんなと言ってるでしゅ」
「火なのに呼び水、とはね」
 フッと笑んで煉は煙草を灰皿に押しつけた。
「火の神よ、私が送ってさし上げよう。
 成功するかどうかは、わからないがね」

 火神、煉、漂にいぬさくや、上海は揃って町外れまで出向いた。
 店の中はもちろん、街中でそうそう大きな火を使うわけにはいかない。やむなく使うこともないではないが、回避できるならそれに越したことはない。
「君がつきあう理由はないと思うがね」
「神様が帰れるかどうか、気になるじゃねえか」
 帰れるのが嬉しいのか、一行の先頭を飛んでゆく火神の背を見ながら、ニヤリと漂は笑う。
「見届けさせてもらうぜ」
「通訳でもお世話した方でしゅ。私も見届けましゅ」
「シャンハーイ」
「プレッシャーはかけないでほしいがね」
「なぁに、煉ちゃんならうまくやるさ。成功したら結蘭のとっときで一杯やろうぜ」
「それは励みになるね」
 苦笑しつつ煉は足を止めた。
 この辺りまで来れば大丈夫だろう。
「火の神、始めようか。
 漂、君たちは下がっていてくれ」
「あいよ。いぬさくやちゃん、上海、こっちに来てな」
 小さな二人を連れて漂が十分な距離を取ると、煉は火神を手招きする。
 飛んできた火神の体を優しく煉は抱き寄せた。
「火の神、天界に帰れば君は同族に会えるのだろう?
 もう地上になぞ来て、悪さを働くのではないよ」
「ゴウゥ……」
 殊勝に火神が頷くのと同時に、煉と火神はすさまじい炎に包まれた。
 轟音と共に、天を衝くかのごとく火柱が立つ。
 その中を駆けゆく小さな姿を、漂達は確かに見た――

「やれやれ、何とかうまくいったようだね」
 天を見上げ、煉は呟く。青い空にはもう火神の姿は見えない。
「煉ちゃんがやることだ、そりゃうまくいくさ」
 安全を確認して、漂達が歩み寄ってくる。
「褒めても何も出ないよ」
「代わりに俺が出すさ。約束通りの、イイ酒をな」
「楽しみだね。さ、帰ろうか」
 微笑んで言うと、紅いコートの裾をなびかせて煉は踵を返した。



 それから数日過ぎた、ある日の午後の風柳堂――
「やれやれ、どうしたものかね」
「もうしわけありましぇん、煉しゃま」
「シャンハーイ」
 三人一様に困った様子で見つめているのは、青い水差し……の上に謎の姿勢で座っている、小さな男。
 上半身裸の筋骨逞しい男の髪は青く、長い。
 掃除していたいぬさくやが、なんの気なしに水を注いだ水差しから出てきた男は、傲慢そのものの口調で言った。
「ワレヲアガメヨ!」
         〜紫煙の巻〜・終
 

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