黒猫の日ふたたび

 アルクェイド・ブリュンスタッドは日だまりのように明るく屈託のない、人好きのする笑顔で、言った。
「十月二十七日は黒猫の日なんだって、かがみん」
「…………」
 嘉神はカップの紅茶を一息に飲み干す。ついでに「かがみんと呼ぶな」と言いたい気持ちも飲み込み、改めてアルクェイドに目を向けた。
 この白き吸血姫に呼び名のことで言っても無駄だというのは嘉神もよくよくわかっている。
 わかっているということと、納得していないしできることならやめさせたいと思うことは別の話なだけである。
「……黒猫の日は八月ではなかったのか」
 正確な日付は八月十七日。この日のこともいつだったか、アルクェイドが笑顔で教えてきた。
「それは……えーと、確かアメリカの『黒猫感謝の日』よ。
 十月二十七日はイギリスで決まった日ね。正確には『全英黒猫の日』だっけ」
「……それがどうした」
 嘉神は自分のカップに新たに紅茶を注ぐ。秋摘み(オータムナル)のダージリンの甘くやわらかな香りが僅かながらも気分を和らげてくれる。客人がどうであれ、良い茶は良い。
「かがみんには必要かなって」
「必要?」
 怪訝に嘉神は眉を寄せた。
 嘉神の元には黒猫の姿も持つ夢魔であり使い魔のレンがいる。だから確かに黒猫との関わりがあるとは言えるが、「黒猫感謝の日」や「全英黒猫の日」の知識が必要とは嘉神には思えない。
――猫の姿はレンの一面であって全てではない。
 レンはレンなのだ。
 それに黒猫感謝の日というのは欧米では忌み嫌われがちな黒猫の良さをアピールし、飼手を増やすための日だという。全英黒猫の日も似た理由で決められたのだろう。嘉神という主であり居場所を得ているレンには不要だ。
 アルクェイドはこの日のことを知った嘉神の反応や行動を楽しむ気なのだろうがそれに乗る気もない。
「必要などない」
 故ににべもなくそう告げ、この話は終わりだと嘉神は示したのであるが。
「必要だよー」
 アルクェイドの笑みには陰りも揺らぎもなかった。クッキーをつまんでいるその顔は何故か得意げだ。
「好きな子相手でもなんにもないのに何かするのが苦手で、理由があった方が動きやすい――ううん、理由がないと動けない。かがみんはそういうタイプでしょ?」
「……っ」
 ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。
――いや、そうだと認めたわけではないっ。
 心の中で否定はするものの、それが反論として嘉神の口から出ることはなかった。その時点でアルクェイドの言葉を認めたも同然であることに嘉神慎之介は気づかない。気づかないまま、口を引き結んで眉間にしわを寄せている。
――レンに関することはかがみん面白いぐらい顔に出るわよねえ。
 嘉神はかつてはラスボス――もとい、地獄門を開いて人を滅ぼそうと企んだ者だけあって己の感情の制御も腹芸もできる。プライベートでまで感情を出さない無愛想な男ではないが、簡単に動揺を見せるタイプでもない。
 例外は、レンに関してのことだけ。
 それも、付き合いの浅いアルクェイドでもわかってしまうほど特大の例外だ。
 それが面白くて、それからレンの後見人だという責任も一応あるようなないようなというわけで、アルクェイドは嘉神にちょっかいをかけに――ではなく、アドバイスやお得情報をたまに持ってくるようになったのだ。嘉神邸で出される茶や菓子が遠野邸のものに負けないほど美味しいという理由もある。あと一応、理由の一割かその半分ぐらいには、どこかかつての自分と似たものを感じる嘉神への親切心もあったりするのだが、そこは胸に秘めておくものなのである。
「だからちゃーんと覚えておいて、しっかりレンを大事にしてあげてね」
「……」
 嘉神は無言だ。アルクェイドへの非難と抗議の意志をこめた無言なのだが、アルクェイドとしては「かがみん面白ーい」の範疇なので無駄な無言である――ことは嘉神もわかっている。わかってはいるがやらずにおれぬ時は嘉神にとてあるのだ。特に、アルクェイドとか琥珀とかモリガンとかと対するときは。
 と、いうような嘉神の心中はアルクェイドも当然のように察しているわけで。
 ふふっと音にはせずに笑って、アルクェイドは紅茶を口にする。まだ十分に熱を残した紅茶は美味しい。クッキーも美味しい。
「そうそう、あとね」
 美味しい紅茶とクッキーと、楽しい時間のお礼に最後にもう一つ、アルクェイドは嘉神に教えてあげる。タイミングを見計らっていたネタではない。たぶん。
「十一月十七日も黒猫の日なんだって。確か、イタリアの」
「……」
 げんなりして、困惑して。それでいて、ちらりと碧の眼に走ったやわらかな――今日の紅茶の香のように――光に嘉神がレンのことを思い浮かべてもいるだろうことを見て取って、アルクェイドは大いに満足したのだった。
 

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