一つ一つ、重ねる日々
月の姫がレンの腕では抱えきれないほど大きい箱を担いで――いや全く文字通りに「担いで」――嘉神の屋敷を訪れたのは十一月の終わり頃のことであった。
訪れた、と言っても約束あってのことではない。いつものように突然に、唐突に白き月姫――アルクェイド・ブリュンスタッドは嘉神の屋敷の戸をくぐったのである。
それでも一応、嘉神の手が空いていることが多い午後のお茶の時間を選んでいるのは彼女の配慮、なのだろう。
「今日の紅茶もおーいしーい! 味と香りにいつもと違う甘味があって……でもフレーバーティーじゃないのね。
んー、お菓子とも合うなあ。ミルク入れても良いんじゃない?」
――単に、紅茶と菓子が出るからこの時間に来ているのではないか。
その可能性を否定する要素を嘉神は今のところ見つけられていない。
もちろん、客人であるならば訪れたのが茶の時間でなくとも茶と菓子ぐらいは嘉神も出す。たとえ招かれざる客であっても、よほど嘉神の気にくわない人物でも無い限りはそれぐらいの対応はする。
だが、しかし。
『えー、でもお茶の時間に来た方が準備が楽でかがみんも助かるでしょ?』
などとアルクェイドはのたまうのである。
嘉神の推測を否定する要素は今後も見つかることはなさそうだ。
「それで、今日は何用だ」
口をつけた紅茶のカップをテーブルへ置き、嘉神は問うた。
レンは嘉神の隣で黙々と菓子を食べている。今日の茶菓子は焼き蒸しケーキだ。蒸しケーキを更に焼いたものは慨世の家で局地的に流行し、美味しいからと先日強く勧められたので今日採用したところである。焼いたことで蒸しケーキに香ばしさと表面にサクサクとした食感が生まれ、新たなうまさとなっている。慨世の家の者達が気に入ったのも納得だ。レンもまた気に入ったようで食べる手が止まらない。
「あ、うん? 用?」
きれいに二つ目の焼き蒸しケーキを平らげた――つまり彼女も気に入ったらしい――アルクェイドはかくん、と小首を傾げる。
そのまま随分とゆっくりと瞬きを一つ、二つ、三つ。
「そうそう、うん、用ね、用」
くい、と頭を真っ直ぐにしたアルクェイドはにこにこと頷き、紅茶を一口。
たった今本題を思い出したかのようなその様に嘉神は触れはしなかった。不本意ながらもうすっかり慣れた。慣らされた。そこを指摘するのはただの徒労であることも学ばされた。
故に、嘉神は「用はこれだろう」と視線をアルクェイドから、その座る椅子の隣に鎮座ましまししている箱へと向けるだけに留める。
「うん、それー!」
パン、と手を合わせてにこにこと言ったアルクェイドは、手早く箱の包みを解いて中身を取り出した。
「……家?」
思わず呟いた嘉神の言葉通り、一見したところ箱から出てきたそれは家の模型のようであった。ただ、妙に扉が多い。窓の代わりにずらりと壁面に扉が並んで――
――いや、これは引き出し……か?
取っ手のつき具合に嘉神は首を捻りつつ思う。
「家の形はたまたま。えっとね、これは……えーっと、アドベンチャー……じゃなくて、ええっと、アドチルだから……アドベント! そう、アドベントカレンダーっていうんだって」
なんだその覚え方は、と嘉神は心中でだけ突っ込んだ。話の脱線は避けたい。
「アドベントカレンダーとはなんだ」
「えっとね、引き出しがいち、にー、さん、しー……二十四あるでしょ。だから十二月に入ってから、毎日一つずつ開けていくと、クリスマス当日にゴールってわけ。
要はクリスマスまでのカウントダウンを楽しもうってものってことかな」
「……引き出しの中には何か入れるのか」
ただ開けてもあまり楽しくないだろうことは嘉神にも想像はつく。そもそも引き出しは何かを入れるためのものだ。
「ちょっとしたプレゼントね。お菓子とか、クリスマスツリーのオーナメントとか、そんな感じのものを入れるみたいよ」
そうか、ととりあえず相づち代わりに頷き、嘉神は紅茶を一口。
今日の茶葉は先日、馴染みの店で勧められたユンナン(雲南)だ。高地で育った葉であることと、発酵の具合が深いことから、甘みの強く香り高い茶である。
アルクェイドが先に言った通りミルクとの相性もいいが――実際、今日のレンの飲み物はユンナン茶のミルクティーだ――ストレートもなかなかによい。
焼いたことで香ばしさを得た焼き蒸しケーキとも合う。
「それで、かがみんもやってみるといいんじゃないかなって。私からのクリスマスプレゼント代わりに持ってきたの」
「……」
もう一口、嘉神は紅茶を口にする。口内に広がる甘みと香りはやわらかく、心地よさすらある。
ある、が。
「……」
カップの陰に隠すように、一つ溜息。ユンナンの香りの入り混じった息は密やかに消える。
いくら美味くとも、ユンナン茶では現実は覆らないし逃げられるはずもない。
渋々嘉神はアルクェイドの言葉に――ある程度の予想の範囲内であった言葉に――向かい合う。
アルクェイドはにこにこと笑んでいる。
そして、いつの間にかレンは焼き蒸しケーキを食べる手を止め、嘉神を見上げていた。
レンの夕日の赤の眼にきらめくのは、期待の輝き。
言葉よりもレンの眼差しは雄弁だ。
嘉神は無言でカップをテーブルへと戻した。
嘉神とて、別段アルクェイドの「プレゼント」に拒否感までがあるわけではない――特段に欲しいとも思っていないが。
だがこういったものを素直に受け取ることへの妙な抵抗感は、ある。
その抵抗感の七割方は受け取った後、どんな話がアルクェイドに吹聴されるやらわからない警戒心が立つせいだ。アルクェイドも話す相手を選んではいることを嘉神も知ってはいるのだが、選べばいいという問題では、ない。
残りの二割は、催事を楽しむことへの不慣れからきているのだろうと嘉神は自分を分析している。この分析結果を己で導き、受け入れられるようになるまでは結構な時間がかかった上に、受け入れきっているとはまだ言えないのだが。
元来嘉神は催事とは縁が薄い。四神が一人、朱雀が守護神として折々の祭事には関わるが、純然たる楽しみごととなる催事には関わる必要性も興味もなかったのでほとんど触れたことがない。
自国の催事でさえこうなのだから、MUGEN界で見知った異国の催事は言うまでもない。
一応、このつぎはぎのごった煮(ハッチポッチパッチ)世界であるMUGEN界で生きていくことになった時点で、「クリスマス」はじめ、異国や異教の祭事や催事は知る必要があると判断した嘉神は有名なそれらについての一通りの知識は得ている。
嘉神慎之介が元の世界に在った時となんら変わらないままであったなら、知識を得ただけで終わりだっただろう。守護神の役割において異国、異教の祭事に関わる必要が出たときは別だが、催事の方とはほとんど関わらなかったはずだ。
しかし四神の一つである朱雀の守護神嘉神慎之介はかつてとは変わった。嘉神を取り巻く状況も、日々の生活も、そして、その、心の有り様も。
変わらされた一面があり、変わらざるを得なかった一面があり、自ら進んで変わっていった一面もまたある。
その変化がいつしか嘉神を自国、異国、そして異教を問わず、催事に関わらせるようになっていた。
まだまだ嘉神本人の意思で関わるよりも他者の意思に引きずられてのことの方が、多いのだが。
――……
アドベントカレンダーを嘉神は見やる。屋敷の形を模したそれには精緻な文様が彫り込まれている。置物としても十分な作りだ。
レンの、嘉神が折々の催事に関わるようになった最大の原因で理由である少女の、わくわくとした期待の気配はずっと感じている。
――……やれやれ。
呆れの思いは誰に向けたものか。そろそろ気づかない振りをするのも馬鹿馬鹿しくなりそうだが、今は素知らぬ振りで嘉神は一つ息を吐く。
「いいだろう」
アルクェイドは引き出しにはクリスマスツリーの飾りを入れるとか言っていた。ならば今年はツリーの手配も早くしなければなるまい――などと考える嘉神は故に、注意が逸れていた。
「っ」
完全に不意打ちで胸部から腹部に受けた衝撃に声を洩らしてしまった嘉神に、首に腕が回されるのも精一杯抱きついてくる小さな体も拒めるわけもなく。
「【うれしい】」
嘉神がどうにか息を整えたときには、喜びをいっぱいに表したおぼろな夕日の赤が視界にあって。
その向こうになぜか嬉しそうなアルクェイドの笑顔が見えたようで、嘉神はまた密やかに溜息をついた。
抵抗感の最後の一割、どういう意味合いにせよ他者からまっすぐに向けられる好意を受け止めることには嘉神慎之介は未だ不慣れのままであることを――そのくせ、逃れることも拒絶することもできなくなっている今を――否応なしに意識しながら。
「それじゃ、ごちそーさま! アドベントカレンダー楽しんでねー」
笑顔で帰っていくアルクェイドを見送るやいな、踵を返してレンは駆け出した。目指すは自分の部屋だ。
ドアの側の小物入れ――レンお気に入りのかわいいもの入れ――の引き出しを開け、目当ての「それ」を取り出す。
しわを寄せてしまったり折り曲げたりしないよう気をつけて持って、次にレンが向かったのは居間だ。
居間では嘉神が新しく淹れた紅茶を飲んでいた。アルクェイドと話をした後はだいたいこうしている。
――アルクェイドは慎之介の苦手なタイプ。
だから気分転換が必要なのだろう。モリガンが訪れたときもこういう感じである。
ただ、モリガンとは違ってアルクェイドと嘉神の間には奇妙な共感のようなものがあるようにもレンには思える。だからだろうか、アルクェイドへの嘉神の対応はモリガンに対するそれよりは、いくらかやわらかく見える。
――モリガンがサキュバスというのもあるのかもだけど。
サキュバスであるモリガンの格好も言動もいつでも扇情的で、嘉神の精神衛生上非常によくない。モリガンを前にしているときの嘉神の眉間のしわは通常の三割……は言い過ぎにしても、一割五分は増している。
だがモリガンよりはましと言っても、アルクェイド訪問後に嘉神が気分転換が必要なことには変わりはない。
嘉神が居間飲んでいる紅茶はディンブラのようだ。かぎなれた香りがほのかに漂う中、レンはいそいそと暖炉の方へと向かう。
暖炉の隣に出した小さなテーブルの上に、アドベントカレンダーは置いてあった。アルクェイドが帰ってすぐ、式神の使用人が新しい茶の準備をしている間に嘉神が置く場所を作ってくれたのだろう。
アドベントカレンダーにずらりと並んだ小さな引き出しの数は二十と、四つ。
その一つ一つに、レンは持ってきたそれ――ラインストーンのシールを貼っていく。
白い石、その隣には黒い石、その次はまた白、黒、白、黒……と交互に。
二十四個の引き出し全部に張り終わると、数歩離れてレンはアドベントカレンダーを眺めた。
――きれいに、貼れた。
うん、と自分の仕事ぶりに満足して、くるりと半回転。足取りも軽やかに向かうのはソファの嘉神の元。
ちょうどカップをテーブルに置いた嘉神の手を取り、軽く引っ張る。
「【見てほしいの】」
レンが何をしているのかを気にかけつつも、自らは様子を伺いには来ない嘉神を動かすために。
何よりレンは、何をしていたか、何故そうしたかを嘉神に知って欲しいから。
「……」
嘉神のほんの僅かな逡巡は、何を、という疑問の代わり。
レンがもう一度手を引っ張るのは、答えの代わり。
それでようやく立ち上がった嘉神をレンはアドベントカレンダーの前へと引っ張っていく。
「【見て】」
「……」
嘉神はアドベントカレンダーを眺め――ややあって、レンを見る。
「白と黒の印……つまり、私とお前と交互に入れるということか」
うんうんとレンは頷いた。自分の意図がちゃんと伝わったのが嬉しくて。
「【やるなら、いっしょ】」
「……わかった」
ほんの僅かな思考の間――躊躇いとか戸惑いではなく、段取りを考え直す思考のための間――の後に、嘉神は一つ、頷いた。
――その方が、助かる。
当然ながらアドベントカレンダーなどというものを嘉神はしたことがない。二十四日分もあれこれ選ぶのは、言い方が少々悪いが面倒だ。億劫、とまでは思わないが難儀なことである。どうしたものかと思っていたのだがレンが半分選んでくれるなら随分と助かる。その手もあったかとすら思っている。レンならアドベントカレンダーに入れるものの店も、嘉神よりは知っているだろう。
そんな考えと、同時に。
――この方が、良い。
自分を見上げるレンのきらきらと喜びに輝く夕日色の眼に、嘉神はそう思った。
そっとレンの青銀の髪を撫でた自分に気づいたのは、二呼吸ほど後のこと。
§ § §
その店も今の街と同じくクリスマスに合わせた商品が一杯であった。
それでもどこか素朴で、落ち着いた雰囲気だ。店の客は女性が多いが、男性の姿もある。
――ここならゆっくり選べそうだ。
店内を一瞥し、次いでレンへと視線を向けて嘉神は頷いて見せた。
こくん、と嬉しそうな色をほんのりと目元に浮かべて頷き返したレンは様々な飾りの並ぶ棚へと急ぎ足に向かっていく。その心が楽しげに弾んでいるのは背側から見ても明らかで。
――……ふ。
レンの後を追いゆっくりと歩を進める嘉神の口元はほんのりと緩んでいた。
この店にあるだけでも、飾りの数は嘉神の予想を遙かに超える数だった。
嘉神も街の飾りで見かけたことがあるもの、定番のもの以外にも様々な飾りがある。
――祭事が催事となる際に起こることではあるが……なんでもありだな……
信仰をもってクリスマスに関わるわけではない嘉神としてはなんでもありだろうと別に構わないのだが。信仰をもって関わる者達はその信仰の範囲内でツリーを飾ることだろう。
――それで、いいのだろう。
クリスマスに限らず、本来の祭事の意味合いが多くの人の中から忘れ去られていくことに苦い感情がないわけではない。楽しむこと自体を悪とは嘉神も言わないが、その末に本来の意味を、祈りを、願いを省みなくなっていくのは己を含めた人の愚かさだと思わずにはいられない。
けれど、それでも。
本来の意味を忘れ、知らぬまま、人は催事を楽しむ。親しい者、愛しい者と笑い合い、今日という日を楽しむ。
それは平和で、幸いなこと。祭事とはそうしたものであり、催事とはそういうものなのだ。意味を知る者と知らぬ者が共に幸いを紡いでいく――
だからそれでいいのだ。そう慨世や翁は言うだろうし、示源や楓は頷くだろう。
嘉神もまた、全てを認められずとも、苦いものを覚えながらも、頷くことはできる。できるようになった。
――そうでなければ私はここにおるまいな……
「……む」
袖を引かれた感覚に嘉神が意識と視線を向ければ、小首を傾げたレンがいた。
「なんだ」
「……」
とん、とレンは自分の眉間をつついてみせる。しわが寄っている、と言いたいのだろう。
「なんでもない」
レンが気にするほどの顔をしていたかと首を振ってみせると、夕日の色の眼はしばしまじまじと嘉神を見つめた後、こくんと頷いた。どうやら納得したらしい。
「それで、選び終わったのか」
嘉神の方はまだ半分、つまり十二日分の内の六つしか決められていない。品数が多すぎてどうにも迷ってしまう。
ふる、とレンは首を振り、手にした買い物籠を嘉神に示した。籠にはモールやリボン、ボールなど基本的な飾りが入っている。
ツリーの基本的な飾りはレンに任せているのだが、今籠に入っているものはそれだけで、つまりはレンもまだ選び終えていないということだ。
「私もまだだ。ゆっくり選んでくるといい」
そういえば、こくんと頷いてレンは別の棚へと向かった。
その背を見るとはなしに見やりつつ、ふ、と嘉神は小さく息を吐く。
レンが自分を気遣ったことがわからない嘉神ではない。その気持ちはありがたく、しかし気遣いを受け止めることに慣れない嘉神にはどうにも面映ゆい。しかも幼い――生きた年月は関係なく、姿も心も幼い――少女に気遣われるのだからなおのこと。また、レンに気取られてしまった己のうかつさが少しばかり腹立たしい。
それらの感情が煩わしくあり。
それらの感情が悪くない気分で。
――やれやれ……
一つ頭を振って嘉神は棚へと向き直る。その眉間にしわはなかった。
早く選び終えてしまおうと嘉神は改めて様々な飾りを眺め――一つに、目が留まった。
天鵞絨(ビロード)の黒いリボン。雪の結晶を意匠とした白いレースがやわらかにあしらわれている。
黒と白。それから、雪。ぴったりだ、そう嘉神が思うのは当然のことであり。
買い物籠に速やかにそのリボンは収められた。
§ § §
十二月一日、アドベントカレンダーを開くのは嘉神。その隣ではレンがわくわくと見守っている。
暖炉のそばにはツリーも据えられている。もみの木は赤に金の縁取りのあるリボンが巻かれ、白のボールがいくつも飾られている。この木に毎日一つずつ新しい飾りが増えていくのだ。
一日目の白の印がついた引き出しの中には、ベルの飾り。銀のベルには赤いリボンが結ばれ、軽く振ればチリンと澄んだ音を立てた。
二日目にアドベンドカレンダーを開くのはレン。黒の印がついた引き出しの中には白と青のレースで作られたリース。
三日目、嘉神が開いた引き出しの中にはシルクハットをかぶった雪だるまの飾り。
四日目、レンが開いた引き出しの中には赤と緑のレースで作られた木馬の飾り――
一日が過ぎるごとにツリーにレンの手で、嘉神の手で、新たな飾りが飾られていく。
飾りが増えるツリーを楽しそうにレンは眺め、その様を見る嘉神の表情も普段よりやわらかみを帯びるようであった。
そして日は過ぎ二十四日目。クリスマス・イブ。最後の引き出しをレンが開けるのを、これまでと同じように嘉神が見守る――はずであった。
くいくいとレンが嘉神の腕を引く。
「【いっしょに】」
見上げる夕日の色の眼は一身にそう訴えていて。
何を一緒に、かは嘉神にもわかる。しかし。
「だがな……」
困惑の色を顔に浮かべて嘉神はレンが連れて行こうとする先――アドベントカレンダーを見やった。カレンダーの引き出しはそれなりに大きいが二人で開けられるほどその取っ手は大きくない。
それに、引き出しの中に入っているのはレンへの飾りだけだ。嘉神が開けても仕方がない。
「【だいじょうぶ】」
力強く、レンは嘉神の腕を引いていく。仕方なく腕を引かれたまま嘉神がついていけば、レンは嘉神の手を最後の引き出しの取っ手へと導いた。
そして、嘉神の手に自分の手をレンは重ねる。
「【ね?】」
音こそしないものの、ふふ、とレンの唇が幽かな弧を描く。
「……そうだな」
確かにこれなら二人で開けられる。開けられるが――
――……こうすることが何よりレンには楽しい、か。
中に入っているものがどうこうではなく――いやもちろんそれも楽しみなのだろうが――嘉神と二人でするということがまず何よりもの楽しみなのだろう。
それは、今だけのことではなく。
散歩するとか。茶の時間を過ごすとか。書を読む嘉神の側にいるとか。「大会」で共に戦うとか。
一緒であること、それがレンには楽しい。嘉神もそれは気づいている。気づいてはいるが、今のようなささやかなことにまで求めずとも――
――む。
自分の手が動かされる感覚、それから微かな木のこすれる音に嘉神の思考の流れは切られた。
嘉神が気を逸らしている間に、レンが嘉神の手を引いて引き出しを開いたのだ。中に入っているのは嘉神が選んで入れた白のレースで飾られたビロードの黒いリボン。
それから。
――なに?
ささやかでも予想外のことが起これば、嘉神慎之介といえども多少は戸惑うのである。
ふふ、と。
今度は楽しげで、そして愛しげな笑う声は音となって嘉神の耳に届いた。
「いつの間に……」
「【いっしょだから】」
黒のリボンを手に取ってそっと撫でるレンの眼の夕日の色には悪戯な満足の色が重なっていて。
だから、用意したとレンの眼は告げ。
だから、取ってとレンの眼は促す。
引き出しの中に残るもう一つの飾り、優美な尾羽と冠羽が特徴的な、白い小鳥の飾りを。
手にすれば、少し意外なほど小鳥は軽い。持っただけでは何でできているかはいまいちわからない。くりくりとした丸い目は青のような緑のような、不思議な色合いだった。
「【メリークリスマス、慎之介】」
黒のリボンを自らの青銀の髪に飾るように持って、にことレンが微笑む。
メリークリスマス。楽しいクリスマスを――あなたのクリスマスが良き一日になりますように。そんな意味だと知ったのは――教えられたのはいつのことだったか。
異教の祭りの祝いの言葉、一年に一日しか使わない言葉は言い慣れないものだ。
しかしそれでも、レンの笑みを前にすると自然とその言葉は嘉神の口をついて出た。白い小鳥を手に乗せたまま。
「メリークリスマス、レン」
お前のクリスマスが良き一日にならんことを。その想いを形にするのに、それ以上の言葉はない。
小鳥とリボンの飾りを嘉神とレンはそれぞれ自分でツリーに飾り、最後はもみの木の頂きに星の飾りを置く。これでクリスマスツリーの完成だ。
ツリーの完成はクリスマスの一日の始まりを示すものでもあり。
「【楽しみ】」
クリスマスならではの菓子は色々とある。街へ行けば何かしらの催しもあるだろう。
「そうだな」
街は華やかで賑やかで人が多く、きっと多少の面倒も起きるだろう。それでも街は人々の喜びと楽しみに満ちているだろう。
そんな街ヘレンと「一緒に」出かければきっとレンは喜ぶだろう。
そう、嘉神は思った。
§ § §
クリスマスが終われば当然、ツリーも飾りも片付けられる。
けれど白いレースをあしらわれた黒いリボンはレンの部屋のベッドの柱に、白い小鳥は嘉神の書斎の机に、改めて飾られたのであった。
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