黒猫に感謝する日

――この吸血姫が来ると面倒なことが起きる。
 眉間にしわを寄せ、嘉神慎之介は思った。

「八月十七日は黒猫に感謝する日なんだって」
 と、妙に得意げに嘉神に話したのはアルクェイド・ブリュンスタッドだ。
 だいたい嘉神にそういう益体のない――そのくせある一点の共通性のある――話をしてくるのはアルクェイドか遠野家の使用人の琥珀、さもなければサキュバスのモリガン・アーンスランドである。今回はたまたまアルクェイドだったにすぎない。
「それがどうした」
 嘉神としては突然の来客であるアルクェイドに寛容に応対する義理はあまりない――彼女はレンの後見人のようなものであるからして少しだけはある――のだが、さすがに無視するわけにはいかず、言葉を返した。
「おもしろい日があるなーって思ったからかがみんに教えにきてあげたの」
 感謝してね、と言わんばかりの発言である。
「……ならば用は済んだだろう」
「感謝とは言うんだけどね、どっちかって言うと黒猫のいいとこアピールの日みたいなんだ。
 黒猫って欧米じゃちょっと人気ないみたいで、捨て猫とかのもらい手探すのもほかの猫より大変なんだって」
 嘉神の言葉や声や表情にはかまわずアルクェイドは話を続ける。合間に紅茶、それからケーキに手をつけることも忘れない。どうもアルクェイドは嘉神の屋敷で出される茶菓子が気に入っているらしい。
「だから黒猫のいいとこアピールして、引き取り手を増やそう作戦する日だそうよ」
「何故それが感謝になる」
 眉間にしわを寄せて仕方なくアルクェイドの話を聞いていたはずなのについ、嘉神は問うてしまっていた。物事の筋が通らないのは気になる嘉神の性分が災いした。
「しーらなーい。でも、欧米流のウィットってのじゃないかなあ。
 あっちの方の人間ってそういう、なんて言うのかな、押しつけがましさ回避してみんなで楽しくやりましょーに持って行くの得意だし」
 そういうことか、と嘉神は納得していた。「黒猫のために良いところをアピールする」を「黒猫に感謝するために良いところを挙げる」とする。確かに押しつけがましさは減るだろうし良いところも挙げやすくなるだろう。こういう思考は日の本の国にはあまりないとも嘉神は思う。
 などと思考を巡らせたがために、嘉神には隙ができていたのだろう。
 感じた視線に無意識に目をやったそこには、白い吸血姫の輝く笑顔があった。
「細かい理屈はともかく、今日は黒猫に感謝する日なんだからね。
 かがみんわかった? しっかり覚えてねっ」
 やはりそう来るか、と。眉間のしわを深くしつつ密やかに嘉神はため息をついた。
 レンが昼寝をしていてこの場にいなかったのは幸か不幸かなのか考えつつ。
――やはりこの吸血姫は面倒の種だ。


――……好き放題言って帰ったな。
 アルクェイドが帰った後、使用人たちが茶のセットを片づけていくのを眺めながら嘉神は眉間を軽くもんだ。
 アルクェイドの魂胆はわかっている。
 「黒猫に感謝する日」とやらを知った嘉神がどうするか、それを後で知って楽しむつもりなのだ。もちろんそれだけではなく、話を聞いているときの嘉神の反応もアルクェイドの楽しみになっていたことだろう――嘉神にしてみればはなはだ迷惑なことである。
 もっとも嘉神はどうするつもりもない。「黒猫に感謝する日」の由来は確認した。アルクェイドの言うことであるからいくらか頼りないものだが、まず大筋ははずれてはいまい。
 引き取り手が少ない黒猫のために良いところをアピールする日ならばいくらレンが黒猫の姿も持つとはいえ関係があるとは言えないだろう。飼い主ではなく使い魔の契約をした主ではあるが、嘉神という存在がいるレンの良いところをアピールする必要はない。
 今回はアルクェイドの思うようなことは起きないだろう、残念だったな、と胸の内で嘉神が呟いたのと、
 ちりん
澄んだ鈴の音と同時に居間の扉が開き、レンが入ってきたのは同時だった。
「起きたか」
 嘉神が声をかけるとこくりとレンは頷き、駆け寄った。
「茶にするか」
 ぽすんとソファに腰を下ろしたレンに問う。壁の時計はそろそろ三時を指す。嘉神はアルクェイドの相手をしつつ茶を飲んだが、気分を変えるためにも新しい茶を飲みたいところだ。
 うん、と大きくレンが頷くのを見て、嘉神は思念で使用人に茶の準備を命じる。
 レンには甘くしたアイスミルクティーと菓子――今日はチョコレートケーキを用意してあるという――を、自分にはストレートティーを。
「……む」
 嘉神が指示を終えたところでレンがその袖を引いた。
「なんだ」
「【アルクェイド?】」
 気配を感じたか、小首を傾げてレンは問う。
「……ああ。いつものように好き放題話していった」
 アルクェイドと共に長くいただけあって気配でも察したかと嘉神は思い――一つ、思い出した。
 黒猫だからというわけではないが、レンは長く主を得られなかったらしいということを。
 嘉神という主を得られたのはラッキーだった、と確か以前アルクェイドは言っていた。
 このまま主なしでは、そう遠くないうちにレンの命は消えていたとも。
――……。
 嘉神はレンを見た。
 黒い服を纏ったあどけない少女はやわらかく嘉神の視線を受け止める。夕日の赤の眼は朧な雰囲気はあるが同時に意志の存在も感じる。白い肌は確かな生気に満ち、触れればきっとあたたかい。
 命の危機があったなど、まるで感じさせない。
――……そう、だな。
 思念で使用人に指示を追加。レンのチョコレートケーキをいつもより多く、それからよく泡立てた生クリームを添えるようにと。
 黒猫に殊更に感謝することも良いところのアピールもする気はないが、レンが今ここに生きて在ることを感謝するぐらいはしてもいいだろう。
 アルクェイドの話のせいでそんな気になったのは間違いなく、嘉神としてはそれは少々業腹ではあるが。
 業腹なのは話したアルクェイドに対してなのか、聞いた結果話に乗るような真似をする己自身に対してなのか、いささか判然としなかったが嘉神は深く追求しないことにした。
 したとして何か得られるわけではなく――あまり、触れたい気もしなかった。
 どのみち、この程度のことならばアルクェイドにも伝わるまい。レンがいつもより少し多いケーキに少し喜ぶ、それだけのことだ。
「【?】」
 思考から意識を引き上げれば、何か察したのかレンが小首を傾げている。何でもないと首を振ってみせればレンはそれ以上追求しなかった。
「今日の菓子はチョコレートケーキだそうだ」
 そう言ってやるとレンの表情が輝いた。いつもより多く、生クリームを添えたケーキを見ればきっともっと喜ぶだろう。
 だがそうなった理由を、今日が黒猫に感謝する日であることをレンは知らない。
 知らぬままでいいと嘉神は思う。今日のことは嘉神の――そう、気まぐれとでも言うべきこと。
――まったく、あの吸血姫が来ると面倒が起きる。
 そう思う嘉神の口の端は微かな苦笑の色を含んでいた。
 

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