甘くあたたかいのは菓子と、それから

 薪の上でぱちぱちと時折音をあげながら炎が踊る暖炉の前には、ふわふわとしたクリーム色の長い毛足のラグマット。外は寒風の舞う冬の午後だが、暖炉の炎のおかげでこの居間は暖かい。
 マットの上に座すのは白い服に青緑のベストを着た男――嘉神慎之介。
 そしてあぐらをかいた嘉神の膝の上にちょこんと座っているのは黒い服を纏い黒いリボンをつけた青銀の髪の少女――レン。
 いつもと同じ無言で表情もあまり見えないのに、わくわくとした様子がその横顔からうかがえるレンの手には木の串が一本。その先に刺さっているのは真っ白でやわらかそうな菓子――マシュマロだ。
――何をするつもりなのか。
 さっきまでレンは遠野の屋敷に遊びに行っていたのだが、帰ってきたとたんあれこれと用意しだした。暖炉の前に持ってきた小さな丸テーブルに菓子を並べた皿とマシュマロを盛った皿を置き、その隣に嘉神を引っ張ってきてを座らせ、それから最後に、当然のようにレンは嘉神の上に座ったのであった。
――おおかた遠野の屋敷であの使用人に何か吹き込まれたのだろうが……
 思い出した使用人の娘の、どこまでも明るい笑顔に軽く嘉神が眉を寄せる。あの使用人は性根の悪い娘ではない――はずである――し、レンのことをかわいがっている。だが、彼女の発想や行動は嘉神の頭痛の種になることが少なくない。
 嘉神が眉を寄せる間に、レンは串に刺したマシュマロを踊る炎の手に届くか届かないぐらいの位置にかざしていた。
 たちまち甘いにおいが炎にあぶられたマシュマロから漂い流れてレンの、嘉神の鼻腔をくすぐる。
「…………」
 レンの横顔が自然とほころんだのが、嘉神には見えた。期待の色、気配も強くなる。
 マシュマロが焦げないようにくる、くるとレンが少しずつ串を回し、丁寧にあぶるほどに甘いにおいは広がっていく。
 真っ白だったマシュマロにきつね色の焼き色がついたのを見計らい、レンは串を手元へと引いた。ふー、ふー、と息を吹きかけながらゆっくりと口元へと運ぶ。
「…………!」
 夕日の色に炎の色を映していつもより赤く見えるレンの目が大きく見開かれた。ふにゃり、と表情が更に緩んでほんのりと笑みを浮かべる。それが幾千、幾万の言葉より雄弁に、レンが口にしたマシュマロがおいしかったことを嘉神に伝えてくる。
――此度、使用人が吹き込んだのはこれか。……ふむ。
 暖炉でマシュマロを焼くとおいしい、とかそういうことだったのだろう。今回は悪くはないことだったかと安堵めいた感情を覚える嘉神のレンに向けた碧の目には、優しい、暖炉で燃えるあたたかな炎の光とどこか似た光が宿っていた。
「…………」
「……なんだ?」
 串を咥えたまま振り返ったレンにまじまじと見つめられ、嘉神は戸惑いに首を捻った。
「……」
 ううん、とレンは首を振る。心なしかレンが嬉しそうで、嘉神の戸惑いは深くなる。
――何かレンが喜ぶようなことがあったか?
 ううん、ともう一度、まるで嘉神の心中の呟きが聞こえたかのように、同時にやはり嬉しそうにレンは首を振ると新しいマシュマロを串に刺し、また火にかざした。
 再び白いマシュマロはきつね色を帯びていき、甘い砂糖のにおいがゆるりと漂う。
 炎の熱とは違う、膝の上から伝わるやわらかなぬくもり。目を輝かせてマシュマロをあぶるレン。
――……いつものこと、か。
 ささやかな戸惑いを嘉神はその一言で納めた。
 嘉神がレンと共に在るようになって長いが、この小さな少女には未だに戸惑わされる。それが彼女が幼い少女だからなのか、猫の性を持つからなのかは今もってわかりかねている。わかったのは戸惑いの原因は求めても得られぬ事の方が多いということ。
 故に今日も嘉神はレンに答えを求めなかった。
 冬の午後の穏やかなひとときに自ら傷をつけることはあるまい。
 マシュマロにきれいに焼き色がつくと火から離し、レンは今度はそれを嘉神へと向けた。表情を見るまでもなく、行動だけでその意図は察することができる。
「私はいい」
「…………」
 不満そうにレンの頬が少し膨らむが、嘉神は首を振った。
 マシュマロは以前一度だけ、レンにつきあって食べたことがあるが嘉神には甘すぎた。あぶったことで風味も少々変わっているだろうが、それでも甘いことに変わりないことは漂うにおいが示している。
「…………」
 ふい、とレンが嘉神から視線を逸らした。
 諦めてくれたか、と嘉神は思ったがレンはマシュマロを口にせず、テーブルへと手を伸ばす。皿に並べた菓子――薄い板チョコレートを乗せたクラッカーと何も乗せてないクラッカーを一つずつ、取る。取ったそれでレンはマシュマロを挟んだ。
「……む」
 至極当然のように、レンはマシュマロを挟んだクラッカーを嘉神の口元へと向ける。「【食べて】」と夕日色の眼が訴える。
 ぱちぱちと薪のはぜる音に嘉神の嘆息が重なった。
 仕方がないとレンの手のクラッカーに手を伸ばすと、つい、と逃げた。かと思うとすぐに嘉神の口元へと運ばれる。
 意図は、あまりにも明白。
 夕日色の眼は嘉神を見つめて「【食べて】」と訴える。「【食べさせてあげる】」と囁く。
「レン……」
 名を呼んだ声は、二度目の諦めの嘆息混じり。そもそもこの状況に至る状態にあることを先刻許した時点で、こういったことが起きるのは予測してしかるべきだった。
 否、薄々察していたのだ。それだけの経験は重ねている。それでも嘉神がレンを膝に置いたまま、好きにさせていたのは――
――…………
「?」
 クラッカーを持ったまま、きょとんとレンが、小さな少女であり夢魔であり、嘉神の使い魔であり――共に在る者が首を傾げた。
 暖炉の炎の熱も、膝の上のレンのぬくもりも、共に嘉神には心地よい。
 たぶん、それで理由は十分なのだろう。
 己の持つ、嘉神慎之介という人間を構成する意地や矜持や美学を超えたところにあるものを、嘉神は見る。
「……なんでもない」
 首を振って渋々開いた嘉神の口に、そっとレンはマシュマロのクラッカーサンドを滑り込ませた。
 さく、とした歯ごたえのあと、とろりとあたたかいマシュマロとその熱で少し溶けたチョコレートが口内で入り混じる。クラッカーの香ばしさとチョコレートの苦みがほどよくマシュマロの甘みを和らげ、単体で食べるより食べやすい。嘉神の口にもこれなら合う。
「……?」
 嘉神が食べ終えると、じっと見ていたレンはまた小首を傾げた。
「……悪くは、ない」
 ぱあっ、とレンの表情が輝いた。いそいそと新しいマシュマロを串に刺す。
「だから残りはお前が食べるといい」
 嬉しそうにマシュマロを火であぶっているレンは頷きはしたが、ちゃんと聞いているのかいないのかは微妙なところだ。
 クラッカーもマシュマロもまだ結構な数がある。
 やれやれ、とまた一つ嘉神は嘆息し、使用人に紅茶の用意をさせるか、と思った。
 口の端を僅かに、緩ませて。
 

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