color up(※顔を赤らめる の意味)
雨、というものは世界から色を奪う。
雨だけではなく、天を厚く覆う黒雲だとか切れ間無く響く雨音、湿気をはらんだ重い空気が世界を塗り替える。
といっても、文字通り世界がモノクロームだとかセピア色になってしまうわけではない――が、雨に閉ざされた世界は精彩を欠き、色が消えたかのような感覚を与えてくる。
雨のせいか街に人の姿は少ない。それがいっそう、世界の色を乏しく感じさせる。
――こういう街も嫌いじゃないけどさ。
濃い紺の傘を差して街を行く遠野志貴は思う。
――何気ないことでいつもと違う世界を感じられるのって、悪くない。
というか、と早足に歩きながら式は傘の下で苦笑する。
――そう思わないとやってられないって言うか。
その脳裏に浮かぶのは琥珀の姿。
「すみません志貴さん、お買い物を一つ忘れていたんですけど、お願いして良いですか?
雨が降る中申し訳ないんですけど私は夕食の準備で今ちょっと手を離せないので……」
手を合わせて上目がちに、いつもの笑みを浮かべつつも申し訳なさそうな顔で琥珀にそう言われては、志貴には断れるはずもなく。
――……まあ、屋敷で一番暇なのは俺だし。
ちょっぴり情けない心境で思いつつ、志貴は買い物を指定された店へと向かう。志貴は行ったこともない店だが、琥珀が言うには絶品の醤油や味噌を取り扱っているらしい。
「……この通りを渡って、路地へと入るっと」
メモ用紙に書かれた地図を確認し、道を渡るべく横断歩道の前に立つ。信号はちょうど停止に変わったばかり。ついてないと思う志貴はふいと視線を動かした。
雨格子の向こう、道を渡ってすぐの停留所の屋根の下にぽつんと佇む少女の姿に気づいて。
黒い服を纏った小さな少女を志貴はよく知っている。
――レンじゃないか。
雨を通しても見間違えるはずもない。夢魔であり使い魔であるあの少女、レンは以前は遠野の屋敷で志貴達と共に暮らしていた。今はマスターと認め契約した人物の屋敷に移ってはいるが家族同様のつきあいなのは変わらず、ちょくちょくレンは遠野の屋敷に遊びにも来る。
レンの方は志貴に気づいていないらしく、所在なげに雨を眺めて佇んでいる。いつもと変わらず表情に乏しいが、幾分、困っている風にも見えた。
――……一人みたいだな……傘、持ってないのか。
そういえば一時間ぐらい前までは雨は降っていなかった。それどころか晴れていた。最近は天候が不安定で変化が激しいんだったな、と志貴は思い出す。
きっとレンは傘を持たずに出かけてしまったのだろう。
天を志貴は仰いだ。黒い雲はずいぶんと分厚く、雨はまだ降り止みそうにない。
――レンを家まで送っていこう。
あっさりと志貴はそう決めた。
夕食の時間にはまだ間がある。どの段階で琥珀が醤油や味噌を必要とするかはわからないが、少しぐらい遅くなってもたぶん、大丈夫だろう。最悪、事情を話せば琥珀はわかってくれるはずだ。
――……いや、みんなわかってくれる。鬼じゃないし。うん。
自分に志貴が言い聞かせたとき、信号が「進め」を示した。
道を渡ろうと志貴が足を踏み出したのと、視界の端に人影をとらえたのは、同時。
志貴の足が止まったのは、一呼吸後。
人影が――レンの方に歩み寄る黒い傘を差した白い服の背の高い男が――嘉神慎之介、レンの今のマスターだと、気づいたから。
レンを迎えに来たのかたまたまこの場に行き当たったのかはわからないが、嘉神は特に早足になることもなく、しかしレンへと真っ直ぐに近づいていく。
ややあって気づいたらしいレンも嘉神の方に顔を向けた。表情に安堵の色が見える。大きな変化ではないけれど、確かに。
停留所の屋根の下に一歩入ったところで、嘉神は足を止めた。レンはすぐにその傘の下に駆け入った。
黒い傘の下に、白い男と黒い少女。雨がもたらす世界が色褪せた感覚が更に強くなったように志貴は思う。モノクロームの映画の一シーンようだと。
レンが嘉神を見上げる。行こう、と促すように小さな手が白いコートを引いた。
嘉神はレンを見下ろし――思案するようにしばし、レンを見、それから自分の差した傘を見上げた。
きょとん、とレンが小首を傾げる。志貴もまた、どうしたのだろうと内心首を捻った。
嘉神が再び、レンを見下ろす。
ふわりと白が、翻った。
軽やかな、湿った重い空気など知らぬかのような、清爽な色。
翻った白――嘉神のコートが優しくレンを包み込む。
あぁ、と志貴は合点した。嘉神とレンの身長差では同じ傘の下でもレンがどうしても濡れやすくなる。
だから、嘉神は己のコートの内へとレンを抱き寄せたのだろう――
「……あ」
色が差したと、志貴は感じた。
ぽおっと朱が、広がった。
レンの白い頬を染める、その胸の内の喜びと想いを示すあたたかな色。
雨格子を通してなお褪せぬ鮮やかな色――
信号は、停止を示していた。
志貴はモノクロームの色の二人、されど鮮やかな色を持った男と少女が歩み去るのを、佇み見送る。
――うん、良いものを見たな。
志貴の口元には、自然浮かんだ笑み。
家族同然の少女が大事にされ、幸せであること。それを嬉しく思う、あたたかな色。
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