誕生日ログ
月の兎
天には、十六夜の月。
満月であった昨日よりわずかに欠けた月は、ゆるりゆるりと天の頂へと登っていく。
その月を、守矢は舞と並んで見上げていた。猛暑がようやく去りはじめ、頬を撫でる夜風は心地よい涼しさだ。
九月二十三日、今日は守矢の生まれた日である。先日の楓の誕生日と同じく、家族皆で祝ってくれた。やはり楓の時と同じく、パートナーである川澄舞も招かれたのである。
これまた楓の時と変わらず、和やかであたたかな雰囲気の中で宴は催された。そして一通り食事も終わったところで、外の空気を吸いに守矢と舞は表に出たのであった。
秋の虫の声が方々から聞こえてくる。今年の夏は長い気がしていたが、季節はそれでも巡っている。例年より少々遅いが、彼岸花のつぼみも見かけた。近日中には精緻な花をきっと咲かせることだろう。
「守矢」
「ん」
舞の声に、守矢は月から彼女へと視線を向けた。彼女の手には赤いリボンを掛けた小箱が一つ。
「プレゼント。誕生日、おめでとう」
そっと差し出す舞は頬は赤く、視線は微妙に守矢から反れがちになっている。
――……恥じらい……いや、緊張している?
どこか張り詰めたもののある舞の気配にそう感じ、同時に皆のいる前で舞がこれを出さなかった理由もその辺りだろうと察しをつけつつ、守矢は小箱を受け取った。
「ありがとう。
開けてよいか」
守矢が問えば、頬は赤いままだが舞はこくんと頷いた。
しゅるりと衣擦れの音をさせ、守矢は赤いリボンをほどく。箱を開けるとそこには小降りの饅頭とおぼしき菓子が二つ、ちょこんと鎮座していた。
――これは兎と……月か?
淡い黄色の丸い饅頭を手に取り、兎の顔が描かれた楕円の白い饅頭を見る。天へ目を向ければ、同じ淡い黄色の月。
「食べて」
「あぁ、いただこう」
緊張の色を増す舞に促され、守矢は一口饅頭をかじった。皮の薄い塩味がまず口内に広がり、続く餡の甘みを引き立たせる。
「……うまいな」
「ほんと?」
問う舞の緊張がみるみるほどけていくのが手に取るように感じられ、守矢は口の端に幽かに笑みを浮かべた。
おそらく舞は味のことが気になって緊張していたのだろう。
「あぁ、うまい」
「私が作ったの。雪さんに教えてもらった」
「そうか」
食べ進めながら守矢は頷く。言われてみればこの饅頭は雪が作るものの味と似ていた。
思い返せば、隠し事をしているそぶりこそ見せなかったが最近雪は妙に楽しそうだった。男家族の中で過ごしてきた雪はきっと、舞に菓子作りを教えることが楽しかったに違いない。
「守矢の誕生日は月がきれいな頃だから。月の形のお菓子にしたかった。
それに……」
守矢から天へ、天で輝く十六夜の月へと、舞は視線を向ける。
「月には、うさぎさん。
いつも月の中にいる。だから」
――だから、月と兎の菓子、か。
可愛らしいものだ、声には出さず、ただ守矢は唇をそう動かす。
舞に届けばきっと恥ずかしがるだろうから。
舞に届けばきっと己は照れくさいから。
故に。
「舞」
「何?」
振り返った舞に、兎の饅頭の残った箱を手渡す。
脳裏に浮かぶのは、兎の耳をつけた舞の姿。
「暫く、持っていろ」
「うん……?」
きょとんとする舞をよそに、守矢の姿が一瞬霞み、少し離れた位置に現れる。瞬間移動に見えるほどの瞬息の動き、歩月。
すらりと、守矢は愛刀『月の桂』を抜く。銀の月光を鈍く弾くそれを構え――
「おおおっ……双月!」
逸刀・新月。そして双月。守矢の刃が弧を、月の形を描き出す。怜悧、華麗にして的確に相手を討つ技。共に戦う中で、舞は何度もこの技を見ている。
――……うさぎさん……?
そこに今、舞は確かに兎を見た。しかも、兎は餅をついていた。一体どういう仕組みなのかはわからない。
わからないが、舞には一つわかることがあった。
「守矢……」
剣を収め、守矢は舞を振り返る。その背には、十六夜の月。
「もちつきうさぎさん!」
「っ……!」
抱きついてきた舞を、守矢はしっかりと受け止めた。ちらりと確認すれば、舞の手にはちゃんとプレゼントの箱があり、兎の饅頭も無事らしい。
「気に入ったか? 饅頭の礼だ。
だがこれは……皆には内緒だぞ」
「ないしょ?」
「あぁ、内緒だ」
ずっと昔、子守の助けになればと幼い雪と楓に見せたことはある。二人ともずいぶん喜んでいたものだ。だがもう彼らに見せることはない。戦いの場で披露することなどとんでもない。
――見せるのは、舞だけだ。
心の中で密かに誓う守矢の腕の中で、舞が顔を上げた。
「……うん、ないしょ」
守矢を見上げて頷く舞の大きな瞳の中で、十六夜の月が揺れた。
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