誕生日ログ

心を満たすもの

「守矢さん、今日は舞の誕生日なんですよ」
 出かける途中の守矢に声をかけてきた倉田佐祐理は、にこにこと、いつもと変わらぬ笑顔で言った。
 だがその笑顔の中に様々な表情を潜ませるのが倉田佐祐理だと守矢は知っている。
 様々な大会でよく共に戦う川澄舞――佐祐理の言う「舞」のことだ――を通して彼女と関わるうちに、知らざるを得なかったのであるが。
「……それがなんだ」
 故にいくらかの警戒心を持って守矢は言う。
「いいえ。ただ、今日、1月29日は舞の誕生日なんですよっていうお話です」
 佐祐理の笑顔は毛ほども揺らぐことはなく、守矢に向けられたままだ。
「昨日私はお祝いしたんですよ」
「…………」
「あははー」
 無言の守矢に、明るく佐祐理は笑った。邪気の欠片もない、まさに無邪気な笑みだというのに妙な威圧感を守矢は感じる。
「なるほどー」
 唐突に笑うのをやめて佐祐理はまじまじと守矢を見つめた。
――今度はなんだ。
 怪訝半分不快半分に守矢が僅かに眉をひそめるのにも構わず、一人納得した様子で佐祐理は何度も頷いている。
「そんなに怖い顔しないでください。安心しただけですから」
「安心、だと?」
 守矢には全くもって佐祐理が何を言いたいのか理解できない。
「あまり気にしないでください。守矢さんはきっとそのままでいいと思います」
「……貴様に言われることではない」
「あははー、そうですね」
 素っ気ないを通り越して冷淡な響きの守矢の声を意に介した風無く頷くと、「お引き止めして失礼しました」とぺこりと佐祐理は頭を下げて行ってしまった。
 一人残された守矢は、憮然と腕を組んでいた。

『今日は舞の誕生日なんですよ』

 一つの意を含んでいることを隠しもしない佐祐理の言葉。
 考えるまでもない。「祝え」と言いたいのだろう。
 川澄舞とは大会などで共に何度も戦ってきている。どういう訳かは全くわからないが気に入られてもいるようで、大会以外でも共に行動――なんとなく一緒にいるだけであるが――することがある。
 気に入られているというより懐かれている、といった方がいいのかもしれない。感情をあまり表に表さない、口数も少ない舞が守矢をどう思っているのはいまいちわかりづらいのだが。
 ともあれ、川澄舞は守矢とそれなりに関わりのある少女だ。誕生日を祝うぐらいの義理はあり、更に去年の守矢の誕生日を舞は祝ってくれた。
 守矢が舞を祝ってやらない理由はどこにもない。
 少々守矢が面白くない気分なのは自分が舞の誕生日を知らなかったことと、佐祐理からそれを知らされたせいだ。祝うことには取り立てて異存はない。
――雪に言えばこれからでも宴の用意ぐらいしてくれるだろうが……
 それで舞も喜ぶだろう、とは思いはするのだが、何か物足りない。
――………………
 何が足りないのか、守矢は考える。
 何とはなしにではあるが、この疑問の答えはそう簡単に見つからない、そんな予感を覚えながら――


 街の広場の時計台の下に佇む川澄舞の姿を見つけ、守矢は足を速めた。
 今日は今度出ることになっている大会の会場の下見を一緒にするために待ち合わせしていたのである。その途中で守矢は倉田佐祐理に出くわしたのであった。
 ちらりと時計台を見やれば、約束の時間を少々過ぎている。
――遅くなってしまった……
「すまん、遅れた」
「ううん。大丈夫」
 首を振って舞は言う。言葉通り、特に機嫌を悪くした風はない。
「じゃ、行く?」
「いや、待て」
 歩き出しかけた舞を守矢はとどめる。きょとんとした様子で舞は小首を傾げた。
「なに?」
「今日は誕生日だな」
「うん。
 ……佐祐理に、聞いた?」
 頷き、少し考えて舞は問う。
「あぁ」
 今日一緒に出かけることは数日前に決めていたのに何故誕生日のことを言わなかった、とは守矢は続けなかった。そう言えば舞を責める形になる。舞のことだ、何か意図して黙っていたわけではないだろう。そんな舞を責められたと感じさせても意味はない。
 それにそのことにこだわっている風に取られたくもなかった。
 言葉を続ける代わりに、懐から「それ」を取り出す。
 舞の手を取り、可愛らしい紅梅色の千代紙で包まれた「それ」――遅刻の原因――をその掌に載せる。
「守矢?」
「誕生日の祝いだ」
 目を大きく見開いた舞に一言ぼそりと、守矢は言う。
「私に?」
「そうだ」
「…………」
 掌の上のそれ、つまりはプレゼントを一度見て、また守矢を舞は見た。その頬が赤く上気し、喜びに彩られた笑みが舞の顔に浮かぶ。
「ありがとう、守矢」
 プレゼントを持った手を胸元に押し当て、舞は感謝の言葉を口にする。その表情に守矢は見覚えがあった。
 舞に以前見たのではない。これは――
――……雪……? 何故?
何故今ここで義妹が出てくるのかわからない。だが舞の表情と似たものを、以前雪が浮かべるのを見たことがある、そんな風に守矢は思う。
「守矢……?」
 無言の守矢を奇妙に思ったのだろう。また小首を傾げている舞に、守矢は意識を引き戻した。
 何故雪のことを思い出したのかはわからないが、気にしていても仕方がない。
「……あぁ、いや、なんでもない」
「……?
 守矢、開けていい?」
 不思議そうな顔をしたものの深くは問わず、舞はプレゼントに視線を向ける。
「好きにしろ」
「うん」
 こっくりと頷き、丁寧に舞は千代紙の包みを開いた。
 中から出てきたのは、小さな袋。一見したところはお守りのようにも見えるそれは紺の地に、淡い黄色と白で図柄が描かれていた。
 月と、うさぎと。
「かわいい……」
 目を細くして小袋を舞は見ていたが、きょとんとした様子でぱちぱちと瞬きをすると小袋を顔に近づける。
「いい匂い……? きれいな匂いがする……」
「それは匂い袋だ」
「匂い袋?」
「香木や匂いをしみこませた布を入れた袋だ。持っていれば好きな匂いを自分につけることができる。
 その匂いが気に入らねば、中身を変えることで別の匂いもつけられる」
「ううん、この匂いは好き。守矢と同じ匂いだから。この袋も月とうさぎさんで好き」
 ふるふると舞は首を振る。
「ありがとう、守矢。とても嬉しい」
 そう言って、舞はまた笑んだ。どこか幼さを感じさせる――そのせいだろう、さっきのように雪と似たものはもう感じない――嬉しそうな笑みに、守矢は安堵を覚えた。
――急いで選んだ物だが、気に入ってもらえたか。
 本当ならばもう少し吟味したかったが、待ち合わせの時間に遅れるわけには――少し遅れてしまったが――いかなかった中で選んだ物である。それでも自分で納得して買った物だが、舞がどんな反応を見せるかは気がかりであった。特に、香は自分の好み、たまに自分でも使う白檀を選んだために舞が気に入らない可能性も考えていたのだ。
 その気がかりも杞憂と終わったわけである。
 同時に守矢は感じていた物足りなさが埋まったのに気づいていた。ただ、何が埋めたのかはわからない。
――舞が喜んだから、か……?
 答えらしき物を心中で呟いてみるが、何か少し違う気がする。選んだ贈り物を喜んでもらえれば満足はするものだろうが、それは「答え」ではない。答えが何かわからないまま、そんな確信だけがある。
――容易に見つかる答えではないか……
 先に感じた予感が間違いではないらしいことを感じつつ、守矢は口を開いた。
「そろそろ行くか」
 その口調は普段より微妙に素っ気ない。そうであるが守矢本人はそのことにはまるで気づいてはいない。
「うん」
 そのことにこちらは気づいているのかいないのか、舞はこっくりと頷く。匂い袋と千代紙は、そっと、大切そうにスカートのポケットに収める。
 確かめるように一度ポケットの上から匂い袋を抑え、舞は先に歩き始めた守矢の後を追う。早足に、いつものようにその隣に並ぶために。
 白檀のやわらかでやさしい匂いがふわりと漂い、しばしその場に残った――
 

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